唯一、日本語でない祭日・祝日「スポーツの日」 国旗掲揚に躊躇!
世界拳法会連盟名誉会長 大橋千秋
「体育の日」から「スポーツの日」になぜ変えたのだろう「体育とスポーツは、異質」
近田孝夫先生は、
「スポーツと体育は、思想から実体まで根本的に合致しません。スポーツには勝ち負けを競う事が根本にあり、勝つ事に主眼が置かれています。
体育は身体の健全育成に資する思想から発した理論実践で、勝ち負けを競う競技性を念頭に置いた活動ではありません。
体育は日本精神の根幹に沿った身体強化の術だと認識すれば、そこに金銭的な欲求が発生する事はありません。スポーツにプロが誕生し、競技に賞金が絡むのは、特定の競技者を育成する手段としての行為と認識されているからでしょう。万民参加を標榜しても究極に勝ち負けが存在する限り、健全な体育とはなり得ないと喝破出来ます。」
批評している。
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体育関係者、有識者、政治家の歴史認識などの再考を望む。
体育と言う言葉は、Physical
Education として、1876 年(明治 9 年)に近藤鎮三(1849 年~1894. 年)によって文部省の教育雑誌の中に使用されたのが最初で明治以前の日本には、現在の「体育」のような、学校で制度化された教科としての概念はありませんでしたが武士や庶民はそれぞれの目的や生活様式に応じて、心身を鍛える身体活動を行っていた。 また、各藩が設立した藩校では、武芸稽古に儒学四書の「教育内容」が含まれていた。
あえて日本の体育教育とスポーツ教育と比べると
・スポーツ教育は、スポーツの技術・戦術を教え勝利を競う中に勝つ喜びを与え心身を育成し、生涯スポーツ、社会性の育成目的とした教育。
・日本体育教育は、日本独自の歴史性からなる教育性を備え生涯にわたる運動習慣の基礎を育成する事を目標とし、心技体(体→技→心)人間形成・生涯形成に重点をおいている。
大日本体育協会創設者である柔道の祖、嘉納治五郎が柔道をオリンピックスポーツとして参加することを望まなかったのは、日本体育教育の歴史性を深く認識していたことと思う。(第58回日本武道学会発表から)