衆道(極まった道)を結んだ武士同志は、命を捨てて助け合う契りであるとし、主君に対する絶対的な忠勤を示している。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラするような「尻軽な武道家」は、武士でない! と言っているのだ。しかし、武士道と言う道徳観が未熟で乱世の時は、藤堂高虎など「武士は、7回主君を変えねば、武士ではない」と言っている。戦国乱世の生きるための言い訳でしかないような気もするが使えるべき主君も未熟であったのだろう。まだ、武士道も成熟途中であったと感じられる。794年に桓武天皇が武徳殿を建立し「武徳=武士の道徳」が成長し江戸時代に完成し始めるのだからこんな矛盾もあっても不思議はない。
しかし、「尻軽であった大名」は、いずれも信頼を受けられずに、改易などで領地を没収され、いずれも滅亡の道をたどった事は、間違いない。