2011年6月9日木曜日

拳法会南アジア武道研究会・パラオ、バングラディシュの国旗と日の丸









拳法会南アジア武道研究会がカトマンズで開催された。バングラディシュの国旗を見てパラオの国旗も思い出した。 わたしの記憶と更にHPで検索してあわせてみた。
 バングラディシュが昭和46年に独立したとき「日本への憧れ」から国旗を決めたと言う話もある。インド独立に力を注いだチャンドラ・ボース(バングラディシュ)は、日本軍と共にインパール作戦に参加している。多くの日本人もインドやバングラディシュ独立のために死んでいった。
 
 パラオは、日本が第一次世界大戦でドイツに勝ち、その後、統治していた国である学校を建て教育にも力を注いだ。しかし、第二次世界大戦で米軍の総攻撃で守備隊は、全滅した。このときも、パラオの人達をなるべく助けるべく紛争した。戦闘が終わり全滅し放置散乱した1万2千人の日本兵の遺体を見てパラオの人達は、号泣したという。そして、日本兵を埋葬した。
 パラオは、バングラディシュから遅れること10年、昭和56年に独立した。そのとき、対米戦を一緒に戦いたいと申し出たパラオの人は、守備隊の日本兵や隊長が言った言葉を思い出したという。決戦のとき「我々、崇高なる日本帝国軍人である。お前たちのような野蛮無知なものと一緒に戦わない」と言い船に乗せた。 パラオの人達は、とても傷つき消沈していた。しかし、避難する船の中から海岸を見ると日本兵たちが「いつまでも元気で!」と手を振る姿にパラオの人達は、真意を汲み涙したと言う。こんなことも影響してパラオの国旗がきまったようだ。聞くと処によれば、日本に敬意を払い、は、少しずらしていると聞いた。
  旗の歴史を知りその友情に拳法会は、大いに応えねば、ならない。

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