2009年7月12日日曜日

榊原清司にも同じ夢を見させてやりたい!「セイジもいつも一緒だ!」

                      この日も京都に向かう新幹線のなかで「セイジもいつも一緒だ!」「俺達は、オーストラリアで共にすごした、あの日のままだ」と言うのは、中島豸木教授(国士舘大学・柔道)である。中島豸木、大橋千秋(拳法会・剣道)、故榊原清司(拳法会・柔道)は、オーストラリアTas警察士官学校で共に武道をとおし将来の夢を見ていた。
 ●武道を通して子供たちの世界の架け橋になろう!
 ●日本の心や文化を子供たちや世界に継承しよう!

 真剣に考えていた。 しかし、榊原は、 四十七歳で志なかばで、なくなった。 今回も中島、大橋は、障害者の自立支援の役に立とうと社団法人障害者武道協会設立のために奔走した。大阪の村井正直顧問にご挨拶に行く車中!中島豸木教授は、「セイジも、いつも一緒だよな!」とぼっりと言った。
 その通りである。今では、正統にその心を継承したものが、世界の大陸で活躍し全世界へ和を広げている。黙々と稽古に励み世界の平和のために尽力している。すべての弊害を乗り越えて! 村井先生の「今あることは、本当に真理なのか?わからない!真実とは、時を隔て突然に現れるものだ!」これが、この日の訓えであった。

2009年7月4日土曜日

師とは:「みんな自分を未熟と思っているから!書の線が細い!」


武道家、拳法家とよく言う。「家」とは、一子相伝の武道の世界において「師」が父であり母である。家系的な構図から伝承されてきたことにある。

 昨日、大阪で社会福祉法人わらしべ会の創始者で柔道家(武道家)である村井正直先生に高名な柔道家の先生の書がなぜ線が細いか?と中島豸木教授がたずねた。先生は、即座に


 「みんな自分を未熟と思っているから!みんな死ぬときまで未熟だ!未熟だ!と言っていた。だから、自ずと線が細くなる」とお答えになった。


 私は、先生に、「私は、柔道家では、ないが今度、一緒に稽古お願いします。」とお願いしたら「やりましょう!やりましょう!」と言われた。「まだまた、学んで足らずの」精神が迸っていた。ちなみに村井先生のお父上は、嘉納治五郎先生の師事をうけ高名な柔道家でヨーロッパに柔道を広めた先生方(道上伯など)の師にあたるとの話も聞いた。 師の訓えは、垣根を越え継承されていくものだと痛切に感じた。

 村井先生は、こんなことも言われた。大橋先生も、中島先生も「変(片)な人だ!変な人は、現在は、受け入れられないものである」そして、「今すぐに受け入れられるものは、表面だけが受け入れやすいもので本物ではない」!真理とか本物とか言う物は、時間を経過してからわかる物である」と言われた。  (社)障害者武道協会の顧問をお引き受けいただいたお礼に参上しこの上ない師事を受け、感謝の念に耐えない。    世界拳法会連盟 会長大橋千秋





世界拳法会連盟会長 大橋千秋