2009年10月12日月曜日

ルールに」ついて:「日本のサッカーは、武道ですよ」と長沼健さんは、話した。

ルールに」ついて:「日本のサッカーは、武道ですよ」と長沼健さんは、話した。
 日本サッカー協会の名誉会長と勤めた長沼健さんと以前、愛媛県の新居浜市でお会いしたときに武士道につき話し合ったことがある。そのとき、長沼さんは、「日本のサッカーは、武道ですよ。例えば、100点相手に取られていても反則しようとも思いませんし、また、しません。ピッチで唾を吐いたり、相手の反則をアピールすることを恥としていました。」と話された。私は、なるほど「武道においてルールの戒めは、己の中にあり」と痛感した。拳法会の試合の中で審判が選手に「場外反則、注意1回」と宣告したとき、選手は、頭を下げて己の未熟さを恥じる。
 仮に反則をしていなくても「そのように見られた」という行為を恥じる。審判の反則行為が出る状況を作ったことを恥としている。その前に「やめ」「わかれ」の宣告がなぜ、出せなかったのかと悩むのが武道の審判である。「自得は、畢竟己にあり(全て自らに起こるは、結局は、己から起こる)」である。
 昨日、孫の保育園の運動会に行ってきました。父母、おじいちゃんとおばあちゃんは、幼児たちと玉入れの競技に参加しました。おじいちゃんとおばあちゃんは、外側に書かれた円から幼児は、円の中からとルールが説明され、玉入れが開始されました。ところが、父母、おじいちゃんとおばあちゃんは、熱が入ってきたのと少し円が遠くて玉がうまく入らないこともあり、ついつい越境してしまいました。
 こんなとき、もし、あなたが審判なら、どうしますか?
 ルールの通り無効試合にしますか? 
 保育園の審判の先生は、「熱が入り越境したことを告げて二回戦を続けました。」

 そして、玉を入れるだけでなく三回戦は、片付けゲームでした。
 楽しく終わりました。以前、同じようなことがあり、このときは、「無効ゲーム」となり!
  審判である前に人でなくてはなりません。
 大変いやな思いを参加者は、したそうです。
 その決定をしたのは、サッカーで、地方で活躍した元選手で「サッカーは、ルールは、絶対!」ということだったそうです。
 さて、武道(武士道)としては、この保育園の先生の審判あり方が武道の本質のでは、ないだろうかと感じました。日本語の『試合の語源は、奈良時代にあり゛為合(しあわせ)』にあります。
 しあわせの為なら「玉が入った!勝った負けた!などどうでもよい事なのです。」
「ルールは、己の中にあり」「闘っている。自分か最もわかっている!」 それと「ルール自体が出来た時点で公平性は、喪失した。」と思います。
 長沼さんもこの事を良く理解し  :「日本のサッカーは、武道です」  と話されたと思います。
                                         世界拳法会連盟会長 大橋千秋

1 件のコメント:

  1. 昨日(11/12)、神久呂支部の稽古で(サッカーをする子が妙に多い道場)
     ナビスコ・カップ決勝後の表彰式でJ1川崎の選手準優勝メダルを途中で外したほか、一部選手がガムをかんで参加。贈呈者との握手を拒んだ・・・の話を聞いた。長沼健氏も子ども達に悪影響を与えたと嘆くでしょう!しかし、今は、こんな事があるわけないと思っていても、周りの社会がこの様な状態なので拳法会でも起こらないとはいえない。指導者は、常に礼節と武徳を指導してもらいたいものである。

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