2010年10月27日水曜日

名古屋の足立副会長からの手紙!嘘を真実と思っている若者!

   名古屋の足立副会長からの手紙!
最近の東アジアは、波高しです、先日、内藤会長とキャンベラ会議に出席しました。
その折、多くの豪州人と在留邦人らは異口同音「日本の将来が心配」と子供の国になつてしまつたとの声が聞かれました。
領土が守れない国になり、弱小国に落ちたとの言葉が、ショツクでした。
貴兄はどう思いましたか?今、シニアを含め、日本の将来を考え、動かなくてはならないと思います。
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(大橋です。)
 私は、戦後の日本は、「嘘が道の真ん中を歩くことが出来る国」だと思います。
先ず、世界第二位と言われる海軍を持ちながら海軍を「海上自衛隊」と呼び、「軍隊でない」と言っています。駆逐艦を「護衛艦」と偽り、戦車を「特車」と呼び!敗戦を「終戦」! 占領軍を「進駐軍」!と嘘をついています。
 いつしか「嘘」が若き国民達に「真実」だと思われたところに要因があると考えます。平和で人のモノを盗まない!泥棒も殺人者もいない世界だと!
江戸末期に米国のペリーが下田に軍艦で押し寄せ「大砲」で不平等条約を結ばされた時代からの今日までの日本人の開放の戦いであること!まして、第二次世界大戦があり屈辱的敗戦をし、難題を押し付けられ領土を奪われたことすら自覚していません。 日本国憲法も日本人が作ったと思い込んでいます。 日本国憲法は、アメリカなど占領軍により作られたものです。こんな嘘を真実だと思って平和でみんな仲良くしてくれると錯覚しているお馬鹿な日本人自身に要因があるのでしょうね。まだ、日本は、領土を奪われたままと言うのに!

    武道について言えば 昭和20年武道禁止令がGHQから出され7年間の間で武道もスポーツ化されました。「武士道の喪失です」
 しかし、生徒や子供たちに正直に「武道とは、武士道である。日本伝来の精神文化である。」「武道とは、武士道をおもんじ日本国を守り、国民をまもる。又、敵を倒す!殺戮の技である。それゆえに高潔な武士道哲学が必要である」と正直に言うべきでしょう。 嘘がまかり通るのでわが国は、益々、泥沼に落ちることが予想され、苦慮するのでは、ないのでしょうか。

  PS1:終戦を敗戦(米・英etcに物量で破れた!日本の兵士は、勇敢であった!よくやった!)と認め、敗戦の屈辱を拭い去り奪われた領土を取り返すと言う意欲が必要ですね。 正直は、大切です。
  PS2:日本人は、まだまだ、強い!他のアジア人は、驚いています。
  PS3:平和を第一に考える国民であること。崇高な精神文化を持っていることも理解しています。
  PS4:日本の役人については、賄賂で動くアジアの役人同様に悪人としています。

2010年10月17日日曜日

拳法会の号令の番号のかけ方を統一しよう!

隣でバスケットボールの部活動の番号の号令をかけているのを聞いて、どうしても気になる事がある。それは、拳法会の号令のかけ方で、1(いち)2(に)3(さん)4=よん、とは、言わない!()が正解である。また、8(はち)、9(きゅう)では、なく()である。
 スポーツであれば、どちらでも良く間違いではないが、伝統武道としては、先輩からの訓えを正しく継承したい。おそらくこの号令のかけ方は、江戸時代末期ごろから始まったのでは、ないかと思うが先輩に厳しく「整列!旗手おいて番号!・・・・総員〇〇名!異常なし!」と毎日、稽古させられた。こんなところから、伝承してきた本来の物が失われるのは、残念である。もしかすると、こんなちょっとした事から、本物が失われていくのかもしれない。

2010年10月9日土曜日

医学の道もよし!教育の道、企業家、政治の道もよし! 拳法会は、自分の道、人生の目標を見つける手段

拳法会は、自分の道、人生の目標を見つける手段。 医学の道もよし!教育の道、企業家、政治の道もよし!
 その目標を後進に教えるのが拳法会であり先生、周りにいる父母兄である。だからこそ、子供たちを良く見てやり人生の先哲の師として助言しなくてはならない。
  拳法が強くなることを目指すのと同時に目標を見つけなくては、ならない。
           目標を見つけたものは、断固成し遂げなくては、ならない。

  希望でなく!目標は、成し遂げるもの!

坂本竜馬は、江戸の千葉道場で道を見つけた!多摩の士衛館道場は、新撰組となって熱い血を沸かせた。

「茶の湯」が「茶道」と呼ばれるようになったのは?「生け花」が「華道」と名称の変化・・・

茶道や華道にも「道」があります。
では、いったいいつから茶の湯が茶道に名称がなったのでしょう。江戸時代あたりから利休流茶道の根本とされる「和敬清寂」の標語が生まれ、幕末には、井伊直弼が「一期一会」の概念を完成させたと言われています。こういった精神的で教育手法が確立されて、現在「茶道」と成長しました。
岡倉天心がアメリカで『THE BOOK OF TEA』(邦題:『茶の本』)を1906年に出版紹介してから、「茶の湯」のことを「茶道」と呼ぶようになったという記述もありました。 武道との関りを感じます。

2010年10月3日日曜日

武道と言う言葉は、比較的新しい!と言うのは、間違い!?

以前、武道の定義と言うテーマで武道学会でワークショップが開かれた。その日本武道学会での多くの先生方の発表や私自身も「武道」と言う言葉は、近代になってからだと思っていた。しかし、ここ、10年ぐらいは、ひょっとしたら間違いであったんじゃないかと勝手に思っている。それは、東京大学の相撲部の部長で歴史学者である新田一郎教授の話を武道学会で聞いてからである。当時の話は、歴史学的に言って相撲は、侍・武士の営為にない。したがって「相撲をやっている=武道をやっている」では、ないと言う歴史学的見解でした。「となると空手や少林寺拳法など日本伝来のものでなく武士の営為にないものが多くあり、これを私たちは、武道と呼んでいる。」と言う発表でした。 となると相撲は、武道ではないと言うことになる。武道とは、殺人集団である武士が産み出した厳しい掟や節度、哲学だと言う。剣道の技術を稽古することと武道は、異質のものと言っている。この点から私は、「武道=武士道」は、同じでは、ないかと今は、考えている。誰かが「おはようございます。」を「オッス!」と言っていたように「武士道」を「武道」と言っていてもおかしくない。

以前、(社)障害者武道協会の代表理事で日本武道学会の柔道部会の国士館大の中島豸木教授にも話したが「フゥ~ン」と言う程度の話である。

もっとも中島教授にとっては、柔術を教育の一端とし「道」をつけたのは、尊敬する嘉納治五郎先生なので同意を得られるとは、思ってもいないが言ってみたかった。
 とは言え、わたしのこの「武士道=武道」論は、あながち正しいのかもしれない・・・。
                           世界拳法会連盟会長大橋千秋