2011年5月5日木曜日

校庭の二宮金次郎像(尊徳)の「勤倹譲」の精神


二宮金次郎(尊徳)
  「勤倹譲」の精神
昭和20年第二次世界大戦に敗れた日本、占領軍GHQによって学校の庭に建てられていた二宮金次郎像の全て取り払われた。二宮金次郎は武士でも軍人でもなかったが、像は、取り払われ教科書からも消えた。彼は、「謹・倹・譲」という道徳的な生業のあり方を考えた: 〇「謹」は勤勉に働くこと。仕事は、人を向上させる。仕事がないことは、人間の向上を阻害する。
〇「倹」は倹約。天変地異・戦争など人々を襲う飢饉に備えるためにすることである。「ケチ」ではない。「蓄え」少なくとも生きるための「最低、1500kcal(キロカロリー)/日、摂取できなければ生命と維持出来ない。食料がなければ、最後まで立派な立ち居振る舞いができない。
〇「譲」は、共有の精神のもと足らざるところに移譲することである。国民は、税を納め国は、国民に幸せをあたて天変地異が起きた時には、危機にある国民へ移譲することである。

しかし、国家も国民もその法を越えては、いけない。特に「国家」や役人官僚は、国民の禄を育むものであるので「聖職」にあることを忘れず私欲に走っては、ならない。
アメリカの文学者ヘンリー・ディビット・ソローは、
 「国家は、国民を幸せにする義務があり、国民の幸せと国家の利益が対立したときは、国民は、納税拒否と言う平和的抗議が出来る。」(コンコード在)と言っている。一揆のような事態を起こさないためにも国家の禄により生かされる者は、心しなくては、ならない。

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