2011年6月17日金曜日

体罰=愛のムチでは、なく!異質のものである。

「体罰」と「愛のムチ」は、同じだろうか?以前、ネパールの武道研修生のブペンドラ指導員にたずねてみた。ネパールでも「愛のムチ」と言う言葉は、あり「愛のムチである体罰は、必要」だとわたしに答えた。
 指導をする上での「愛のムチ的な体罰」は、肯定できるのだろうか。
最近、私なりにその答えを見つけた。それは、「愛のムチ」「体罰」は、異質のもので"="(イコール、同じ)ではないと言うことに気がついた。また、また、体罰を"悪"とする風評も間違い であると考える。悪いことをした子どもに罰を与えるのは、当然ののことであり「罰」を与えなければ心底から気がつかない。言葉で分らないものは、げん骨でも分らないが「痛み」は、理解できる。「悪い」と言うことを体感する。そして、悪い好意をすることに注意を払う。
  「体罰」は、良いことであって悪いことではない!
この行為は、愛のムチと称する行為とは、異とする行為であることに気がついた。美化したり間違えて置き換えてはいけない!
 乗馬から「ムチ打つ」の由来が来ている。100mを6秒で走る馬に「ムチ打つ」ことで5.8秒で▲0.2秒縮める能力を引き出すために鞭打つのである。ここでもすりかえたり美化しない方が良いと考える。
※最後に、全て愛情を持って行なう行為であるが「慣れていない人と!感情による行為は!」資格のない人である。自身がシゴキで鍛えられ経験が十分でないと「怪我」の原因になる。最近、上手な指導員や先生をほとんど見ない。 社会の風潮で「体罰」を悪いことに成っているからである。もし、上手な経験がある先生がいたら率先して学ぶようにした方がよい。

2 件のコメント:

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  2. この2年前の考え方を参考にして、今、柔道、バスケット、バレーなど騒がれている「体罰」について考えてみよう。

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