拳法会は、幼児武道教育も大切にしている。マットの上で自由に運動させる事により潜在的な能力を引き出し精神の健全性にもつなげたいと考えている。この時期から年長者とも共に稽古し技術の優れた年長者に敬意を払い、同時に年長者にも惻隠の情を育てあげる事が可能である。現在の学校教育で混在しているのは、教師自身が「スポーツ=スポーツ基本法」「体育=教育基本法」「武道=武道必修化」の目的役割を明確に理解していないところにある。しかし、拳法会は、明確に指導員は、認識している。とは言え全世界の拳法会の指導員が全員認識しているかといえば、嘘になるが、ほとんどが現場で体得している。学校教育のなかで多くの教師が陥り自己満足的になっている。「体育教育は、大会で良い成績を修める試合至上主義がよい体育教育だと教師は、どこかで勘違いしている。父兄も同じで市内大会あたりで優勝すれば、大喜びである。」これは、決して正しい体育教育ではない。「体育とは、健全なる体をつくり運動能力を向上させることにより健全な精神・心を育てる事である。」 記録を伸ばし、試合で勝ちメダルを取ることは、「スポーツ」である。 したがって、拳法会の前半までの稽古は、突き蹴り、投げなどの武技に重点をおかない「体育教育」に重点をおいている。体育教育を補わなくてはならない現実からである。そして後半の稽古は、「武道=武士道」の精神・心を育てる稽古・修行に入る。武道教育とは、稽古をとおし「日本の歴史、伝統、文化、護身の技を教え体得させ、修行の中から 武士道と言う精神性を高める教育」である。この時間帯は、大人も子供もない。師も弟子もない!全てが未熟なと心得ている求道者なので先生も生徒と共に汗を流し、道を説き求める。例えば、9月18日の訓えの言葉は、「一度の善行は、千回の善話に勝る」と「本年6月24日に施行された"スポーツ基本法"第17条と18条の矛盾を考える」であった。
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