2009年11月15日日曜日

礼儀というよりも礼徳を説いている。The etiquette of Budo preaches etiquette virtue not a ceremony.

The etiquette of Budo preaches etiquette virtue not a ceremony.
山本敏雅先生よりお借りした「武道の礼儀作法」野中日文著につき紹介させていただいている。この著書の思いは、単なる儀式である「礼儀作法」ではなく私達「武道人」への批判と警鐘そして日本人のあるべき姿を想って書かれているのでは、ないかと推測する。著書の中では、「決して他集団を批判しているものでない」と述されているが大いに批判されたと感じた。これは、同じ思いであると受け取ってもらっも良い。また、無断で著書を紹介したり一部を公開しているのもこの著書を読んだものが道場で実践することを著書自身が求めていると勝手に拝察したからである。私は、合気道は、30数年前に中島豸木国士舘大学教授に3ヶ月、豪タスマニア大のクラブで、友人の溝垣護氏の引き合いで塩田剛三先生から数時間、そして拳法会の柔法師範の大東流柔術の高橋一郎先生から今も学んでいる程度である。と言っても、高橋先生が生徒に教えておられるのを見て「摩訶不思議な術だなぁ・・・と言いながら木刀を隣で振っている」程度である。そんな未熟な者であるから諸般をお許しいただけると思っている。
 さて、余談は、さておき「礼儀というよりも礼徳を説いている」についてである。「薪水の労をとるとは、どういうことか」という事が記されている。師に近侍し朝の洗面から夜、寝るまで仕えわが身を修業することである。スポーツは、遊びであるが修行は、学び己を崇める事にある。私達の時代であれば、合宿寮で先生や先輩の朝食の準備から稽古の準備、入浴、就寝までの修行である。ご飯の盛り方、箸の付け方、入浴の三助のやり方など規則付けられていた。武道の素質に乏しくて純粋な武道バカのわたしには、テクニックを学ぶより大変な勉強になった。「礼徳、武徳」を教えて頂いたと言える。このようなことから野中日文先生は、「礼儀というよりも礼徳を説いている」と感じている。
 またまた、余談であるが師と想う、故太田敏氏が「大橋が、素質に優れていたり、純粋な武道バカでなければ、異種格闘技との真剣勝負に勝てなかった!」と常に言われていた。まさにその通りで拳法や剣道の試合と「命と日本武道の名誉」をかけたルールのない真剣勝負とは、異質の物である。いつも紙一重で切り抜け今日あるのは、神の加護と礼徳の修行のおかげと心得ている。常に奇跡と言うものは、付いて回ると痛切に実感している。  世界拳法会連盟会長 大橋千秋

0 件のコメント:

コメントを投稿