2010年6月20日日曜日

拳法会の教えと仏教哲学


                 クマール・ラマ会長より贈られた仏陀の曼荼羅
釈迦、仏陀(悟りを開いたもの)は、本名をゴータマ・シッダルータと言いシャーキャ族の第三王子としてネパールのルンビニーに生まれ幼少より武術も学び拳法も達人であったと聞かされている。私は、つい最近までインドが生誕地と思っていたがどうやらネパールが生誕地であることがネパールのブペンドラ君の説明で判明納得した。しかし、ブペンドラ君(2010.3に国際武道大卒)も釈迦が拳法の達人であった事は、知らなかったようである。達人かどうかは、別とし王子とし文武ともに教育されていたことは、間違いない。私がネパールを訪問した際に授業で日本の武士道と仏教について講義した折、釈迦が修めた武術と哲学が日本に伝来し、ネパールは、親であると話しをした時、一同に驚きの声があがった。このような働きから2009年の4月には、ネパール日本教育文化交流協会(クマール・ラマ会長)が設立されていった。
 現在の拳法会でも当然、仏教哲学が拳法会の教えの原点にあるとしている。釈迦自身も毘沙門天など神を守護神としていたように拳法会も造物主である神に感謝と守護、崇拝をしている。ある意味、命をかけ闘う者の守護神を求める感もある。私自身も崇拝する人物が観音寺潮五郎の「天と地と」に登場する上杉謙信なので、それにちなみ毘沙門天を崇拝している。道を知らしめるのが仏教哲学であるとすると武士(もののふ)の守護と加護を祈るのが天である毘沙門天である。このような位置づけが闘いを常とするものの神仏であることは、事実である。
                              世界拳法会連盟 会長 大橋千秋
  

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