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2010年12月30日木曜日

お釈迦様と武道 Buddaha and Bushido.


お釈迦さんの生誕の地であるネパールから日本の浜松市へ武士道を学びにネパールの人達が来ています。お釈迦様は、武芸の達人で刀や弓は、もちろん投げ技、打撃技(拳技)にも優れていたそうです。その国から「武士道」について勉強をしに来てくれる事は、とても嬉しい事です。私たちは、共に稽古をしながら お釈迦様が生まれた紀元前624年(諸説あり)ごろからの「つながり」と言うか「縁」と言うか?不思議な物を感じました。特に今年、12月に拳法会の修行と四段の昇段審査の為に来日したファタ(武陀)氏の風貌を見ていると仏陀は、こんな感じだったのだろうなと想像を掻き立てられました。
 ブッダの意味は、悟りを開いた人を意味します。
仏教では、修行を積めば、仏陀(ブッダ)になれる!仏陀になるため人は、修行するのだと言っても良いのかもしれません。「悟りを開き」仏様、神様に私たちもなれるなんてワクワクします。拳法会で修行を積むのは、悟りを開くためと思い始めました。
 私たち日本人は、仏教の教えを生きる事の基本思想にしているといっても過言でありません。日本の武道は、お釈迦様の武技の流れを汲んでいるという人も居ます。わたしも、そう思うだけで心が弾みます。
 縁あってネパール拳法会、インド拳法会など南アジアの人々に触れる機会を拳法会と言う武道を媒介とし与えていただきました。そこで、目標として2011年は、釈迦の教えにもう一歩踏み込んでいきたいと思っています。
The place of the birth of Buddha is Nepal. The Nepalese comes for Japanese Hamamatsu City to learn Bushido. The Japanese martial arts are related with the skill of Buddha. There is such a talk, too. It is not positive. However, the dream swells out. But,Buddha was superior in the sword, the bow, the skill of Kenpo.
 They come to Japan to learn Bushido from the country. I am very mysterious. I feel a relationship from the front in B.C. 600. Bushido has a modest heart. Bushido forbid a bad-mouth and a theft, a lie. Samurai value fairness. Samurai work for a country and the nation. These resemble teaching of Buddha.
 A meaning of Buddha is a meaning of the people who found realization.
It is decided that the aim of my 2011 learns Buddhology.
       世界拳法会連盟 会長 大橋千秋 IKKO president Chiaki Ohashi

2010年9月11日土曜日

悪口!誹謗中傷が平気で言える日本人!ネパールの研修生が感じたこと!「礼とは、序なり、序とは、秩序を言う」

 「礼とは、序なり、序とは、秩序を言う」 礼とは、護身である。先哲の士が築いた日本人の品格を下げている愚かな日本人!
ネパールからの研修生のブペンドラさんが拳法会からでて、日本社会の中で生活するなか驚いたことがある。武徳を重んじる拳法会から離れると醜いところも見えてくる。
 一部の日本人は、平気で「酷く他人の悪口を言う!」事だそうだ。 ネパールやアメリカ、外国では、言われた相手に、怒ってピストルで撃っような酷い悪口も平気で言えることに驚いているそうだ。

 今は、あまりにも平和すぎて日本人は、「無礼は、危険を招く」ことを知らないのではと思うほど無用心になっているのかもしれない。昔は、サムライは、帯刀していたので自らを律していた。 女も男も自らを律しなければ、危険が身を潜めている。

2010年9月2日木曜日

「数字と結果で判断してよいのか!」 日々、もっと大切なモノがあるのを忘れていないか?There is the thing which is more important than the number.

「数字と結果で判断してよいのか!」 日々、もっと大切なモノがあるのを忘れていないか?
 この事が良くわかるのが戦争である。 
硫黄島を舞台とした映画「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」は、日米の戦いの壮絶さと悲哀をあらわしている。 
 米軍死傷者2万8千人、日本軍2万人が死んだ。この数字を見て皆さんは、どう思うでしょうか?
「日本軍2万1千に対し米軍6万・・・・そこそこ、やったね!」と日本人であれば、思うだろう。これは、とても恐ろしいことだと思う。「数字では、ない!一人ひとりの生活のある命である。米軍の将兵の命も同じである。」
 次は、「勝ったか?負けたか?」の結果である。
これも、アメリカ側にとっては、「勝ったと胸を張る」だろう。結果判断の恐ろしさである。 勝つとまた、前線の将兵のことを忘れてまた、戦いを肯定する。
  第二次世界大戦「硫黄島」で「数字・結果第一主義」での盲点を述べたが、教育や政治、経済の面でも、さらに深く考えるべきと思う。 柔道の嘉納治五郎は、オリンピックになることに決して賛成していない。武道は、スポーツやゲームと異なり精神教育・徳育に重きがあるからである。
 拳法会は、静かにその持つ天命を鑑み、また、進み社会・世のためにならなくてはならない。
Kenpo Kai do not estimate it as a number by a result. There is not Kenpo Kai by sports and the game.  It is the purpose to teach education as Budo and morality. The number is dangerous. The evaluation of the war is not possible with the body count.
                   世界拳法会連盟 大橋千秋 IKKO Chiaki Ohashi

2010年7月25日日曜日

俺は、花と咲くより踏まれて生きる草の心が好き!だと言った朝倉邦夫師範

昭和40年ごろは、高校野球がスポーツの花と言われ中京商業が春夏連覇した。野球のことは、わからないが、嬉しくて、よく電車のなかで一緒になるので「どういう練習をしたら勝てるんだ?」と中商の友人に、よく聞いたものだ。答えは「みんな同じように練習しているのだから素質だよ!」と言われたのを記憶している。 テレビやマスコミにもてはやされている彼らに反して汚く汗臭くさく決してもてはやされない道を進む朝倉邦夫は、「俺は、花と咲くより踏まれて生きる草の心が好き!」だと言いきっていた。
 今の日本の高校生でそんな価値観を持っている者は、いるだろうか? これこそ、武士道の心、日本を正しく導く心である。こんなことが言える若者を拳法会は、育てたい。

 吉川英治の著書「宮本武蔵」や冨田常次郎の「姿三四郎」の日本武士道の「心・魂」を「華や」かさや「利」「金銭」の西洋スポーツに覆われ消えてしまうようなことがあっては、いけない。

新社会人になったとき道を説く人!本を読むことが大切と教えるのが拳法会!

〇新社会人になったとき道を説く人がいない。
 自分にあった仕事が無いと言って、フリーターやパートでいる。新入社員として教育、鍛えられ成長する大切なときがこれでは、失われる。また、会社に入社しても精神から鍛える人もいなくなっている。
 鉄は、熱いときに打て!それは、拳法会が唱える、先ずは、幼児期(~8歳ぐらい)であり、入社時でもある。 わたしたち拳法会の指導者は、「道を説ける、後ろ姿で示す」ことが出来るように精進しなくては、ならない。

〇拳法会の若者には、「本を読ませる。」
 我が子を見ても「本を読まない!これでは、善悪の判断や自分の進む道を決めるときに手本にするものが無い」 お母さんたちにもお子さんたちに「本を読ませる」事をお願いしたい。
 
 大学教授を目指すも実業家、政治家を目指すもかまわないが「責任」を取れるサムライ魂を目指さずして拳法会の門をくぐるべきでない。
                           全日本拳法会 副会長 山本敏雅

2010年7月22日木曜日

幼児教育の大切さ!その基本は、運動能力!

幼児教育が人生を左右するといってよい!
 ①8歳までに運動能力を十分身につけると「自信」が付く!
 ②小学生高学年では、復習能力を身につけ学問の門を開ける。
 ③中学では、好む事を自ら学ぶ(予習・研究の門を開く)。
 後は、大学教授を目指すも実業家、政治家を目指すもかまわないが「責任」を取れるサムライでなくては、拳法会の門をくぐっては、いけない。
        世界拳法会連盟会長 大橋千秋 053-439-0909(NPO法人内)

2010年6月20日日曜日

拳法会の教えと仏教哲学


                 クマール・ラマ会長より贈られた仏陀の曼荼羅
釈迦、仏陀(悟りを開いたもの)は、本名をゴータマ・シッダルータと言いシャーキャ族の第三王子としてネパールのルンビニーに生まれ幼少より武術も学び拳法も達人であったと聞かされている。私は、つい最近までインドが生誕地と思っていたがどうやらネパールが生誕地であることがネパールのブペンドラ君の説明で判明納得した。しかし、ブペンドラ君(2010.3に国際武道大卒)も釈迦が拳法の達人であった事は、知らなかったようである。達人かどうかは、別とし王子とし文武ともに教育されていたことは、間違いない。私がネパールを訪問した際に授業で日本の武士道と仏教について講義した折、釈迦が修めた武術と哲学が日本に伝来し、ネパールは、親であると話しをした時、一同に驚きの声があがった。このような働きから2009年の4月には、ネパール日本教育文化交流協会(クマール・ラマ会長)が設立されていった。
 現在の拳法会でも当然、仏教哲学が拳法会の教えの原点にあるとしている。釈迦自身も毘沙門天など神を守護神としていたように拳法会も造物主である神に感謝と守護、崇拝をしている。ある意味、命をかけ闘う者の守護神を求める感もある。私自身も崇拝する人物が観音寺潮五郎の「天と地と」に登場する上杉謙信なので、それにちなみ毘沙門天を崇拝している。道を知らしめるのが仏教哲学であるとすると武士(もののふ)の守護と加護を祈るのが天である毘沙門天である。このような位置づけが闘いを常とするものの神仏であることは、事実である。
                              世界拳法会連盟 会長 大橋千秋
  

2010年5月9日日曜日

神谷克己顧問がご逝去

神谷克己顧問が5月7日にご逝去されました。83歳でした。神谷顧問は、拳法会を深く理解し夫婦でも稽古に参加し発展に貢献してきました。また、大橋千秋世界拳法会連盟会長のよき理解者で神谷顧問が亡くなる最後の時まで「大好きな人」と言うほどの理解者でした。
 海外からのホームスティーや遠征にも参加し国際交流にも貢献した。信条は、「信義を尊び、新しいもの改革を恐れない」である。人生とは、かくありたいものである。

ご冥福をお祈りいたします。


     葬儀:平成22年5月9日 13:30-「とわに」浜松市浜北区新原

追伸:亡くなられる前の大橋師範は、神谷顧問を訪ねました。神谷顧問は、開口一番「寿命が来た!」と大橋師範に言いました。覚悟の上の会話でした。葬儀でお別れのとき大橋師範は、「天国で、ごきげんよう」と挨拶しました。

2010年2月20日土曜日

子供たちの成長の過程での「兄弟げんか」は、良い体験。「いじめ」もまた、よい体験

昔は、子供たちは、兄弟げんかや仲間との喧嘩で多くのことを体験で学びました。しかし、少子化で兄弟も少なくなり体験の機会がへってきているのも事実です。兄弟喧嘩の中で「痛みや」「手加減」「仲直りのチャンス」「仲直りの手法」・・・・など多くのことを体験し習得します。したがって、「兄弟喧嘩を途中で止めたり」しないでください。お父さんやお母さんの役目は、兄弟喧嘩に拳法会のように「怪我をしないルール」を設けてやることです。最近の凶悪な事件の背景には、手加減のできない行動(言動)があります。昔は、モノをもって喧嘩をすることは、子供たちの間で「卑怯」であり「卑怯者」と罵られたものです。「卑怯者」の言葉もなくなりましたが「正義」の言葉もなくなったのが残念ですね。「いじめ」も大切な体験です。この体験が十分でないと妙に誤解と被害意識を心の中で作り出してしまいます。以前、拳法会の目標の「恕=おもいやり、愛」がありましたが恕のこころをもつ子どもに育てたいものです。

2009年11月23日月曜日

「成らぬといふは、成し様足らざる故なり。」葉隠武士道 Own effort and technique are enough for cannot do it. Hagakure Bushido.


葉隠武士道に「成らぬといふは、成し様足らざる故なり。」と云う訓えがある。
 物事が巧くいかなかったり出来ないのは、自分自身の努力や手法が十分でないからである」と訓えている。「自得は、畢竟己にあり」である。
 もう一つの面から見れば「成果というものは、その時の状況、運命など第3者的なものに大きく左右される物」である。従って「己自身の成ったか否かは、己自身の心の満足でしかない」この心の制御が上手にいかないと「満たされない心が幻を見てしまう。」そして、幻を見ていることすら分からなくなってしまうものである。大学の空手部の監督から現代の空手の世界は、次から次へと新しい流派や団体が生まれると云う話を聞いた。進化していると受け止めるべきか?否か?しかし、これが心の制御が上手にいかないで「満たされない心が幻を見た」結果であれば、葉隠れで云う「成し様足らざる故なり。」である。ほとんどの場合は、これにあてはまり消え去っていってしまうのである。とは云え、柔道の嘉納治五郎先生のように柔道は、柔術の一つと思いつつも「教育」という理念のもと確立したものもあることも心得なくては、ならない。Own effort and technique are enough for cannot do it. This is teaching of Hagakure Bushido. The result is affected by fate. It is important that We do the evaluation by oneself. It is important that we notice the dissatisfaction being the illusion that the heart that is not satisfied watched.

2009年8月1日土曜日

拳法会の訓え 「求道即道なり」 


「孔子は十五歳ほどの年少で 学問の道に志を立てたところが聖人なのである。 いろいろと修行を積むことによって 聖人になられたのではない。」と「葉隠れ武士道」では、述べている。これは、「求道即道なり」という拳法会の訓えでもある。即座によきことは実践し求めようという心こそ大切なのである。
 打算的武士道と言う言葉がある。「利」があるのは、なにかと計算高いことである。現代の多くの者は、西洋の利益第一主義にかぶれ自らの歩むべき道を避け、楽な道や浮いた世間に流され多くの行為に「義」というものがない。

 あれこれ、迷っていても、前の敵を斬ることは出来ない。無心での一太刀が道をひらく。