2011年4月27日水曜日

第35回大会!(8月7日)全員で勝利を!浜松三方原武道教室。「断じて行えば、鬼神もこれを避く!言霊で語れ!」


8月7日(日)第35回大会があります。「全員で勝利を!」一日一日をがんばろうと訓示がありました。
 今日の教えは、「言霊(言魂)」でした。激しい稽古の中で、父兄が子供たちに「がんばれ!」と声をかけます。愛情と霊が込められ子供は、親と共に闘います。その勢いが「断じて行えば、鬼神もこれを避ける」となり奇跡の力と技を産み出します。「がんばれと声をかけてやってください!」
  浜松三方原武道教室(毎水曜日19:00~21:00)三方原神社内三方原集会場053-439-0909

2011年4月24日日曜日

名城大学体育OB連合会合同会へ出席!少子化に向けての課題!



名城大学体育OB連合会事業報告会が名古屋ガーデンパレスで開催され出席した。わたしは、先輩、後輩と共に9名に混じり報告を聞いた。しかし、他のスポーツ団体組織と同じく少子化に向けての問題が大きく立ちふさがっている感がぬぐえなかった。大学の部活動の部員が3、4名という部もあるとの事でした。同時に運営資金難が直面している事が収益事業委員会の報告でその苦労が伺える。しかし、今、日本体育教育とスポーツが危機に直面している緊迫感は、なかった。






 2.義務教育に従来の部活動は、体育教育の弊害には、なっていないか?



 3.大学、高校の部活動と義務教育の部活動の違いの明確化が必要では?
 例えば、義務教育の部活動で中学で新体操や柔道があるとことが少ない。幼児、小学生期に柔道地域クラブで活躍した子供たちが中学になったとき柔道部が無くてやむ終えず他種のスポーツ流れてします。とても残念ですが現実です。そこで、世界のように



 1.地域クラブ主導の部活の確立。



 2.中学の部活動は、地域のクラブを活用し小学生で培ったものを更に活かす。



  以上のような事を加味しなくて大学の部活に参加する学生も少なくなるのは、当然な事である。




 最後に多くの大学部活動関係者は、「体育教育」であることを忘れているものが多い。大学教育としての部活動を確立しない限り更に部員数は、減ってくるであろう。この課題は、4月30日に国士舘大学で開かれる(社)障害者武道協会執行役員会でも各大学の先生方とも話してみようと考えている。




                     世界拳法会連盟 大橋千秋


義務教育の小中学校の部活動を考える。文科省が定める時給300円程度の部活動手当てでは、全ての教師が十分に納得できるものでは、ない。特に、今の教師では、絶対に無理である。


そこで、中体連もクラブチームが参加することを許し思い切って部活数をすくなくする方向に持っていくのが最善と考えられないだろうか。



「経験こそわが師」 体験があるのと無いのでは、天と地の差!

拳法会のOさんは、就職しました。あまり持てる力を発揮出来ないまま数年が経ちました。そんなOさんにチャンスが来ました。社長主催の新入社員を交えた昼食会が中華料理店で開かれました。乾杯の音頭がとられ全員が食べ始めましたが、たまたま、社長に箸がありませんでした社長は、正座をして待っていました。全員が食べ始めていたのですがOさんは、正座をして社長が箸をつけるのを 一人だけ待っていました。拳法会の合宿で学んだ礼です。 社長は、そんなOさんの態度に注目しました。やがて、社長に箸が届けられ食べはじめました。それを見てからOさんは、徐に「いただきます」と合唱し箸を取りました。食事会の後、社長は総務課長に訪ねました。「あの男は、なんと言う名前だね!」
 この行動が社長の信頼を得て、二人は、「刎頚の交わり」となりOさんは、社長の絶対的信頼を得て共に働きました。 Oさんは、社長が癌で死ぬ3日前に社長から呼ばれ、「俺の葬式は、お前にやってほしい!お前といた時間が一番楽しかった」と言われました。Oさんは「男子の本懐です。お任せ下さい!安心して死んでください」と答えました。
    「体験の積み重ねが子どもたちの人生を左右するひとつの例です。
                 子どもたちに多くの体験をさせるのが大人の責任でもあります。」

2011年4月5日火曜日

否定的な日本人!肯定的なアメリカ人!

静岡産業大学の大坪学長が雑誌に「否定的な日本人!肯定的なアメリカ人!」という記事を書いていた。 わたしは、「否定とは、臆病な証拠」だと思っている。例えば、みなさんが国の〇〇省や地方の役所に報告書を提出するとする。臆病な役人は、「ここは、こう言われるとまずいから!!」てな具合にいっこうに前に進まない経験をお持ちの方は、多いだろう。 以前、ネパールからの武道研修生と公務員の生徒が話をしていた。ネパールの生徒が「ネパールでは、賄賂をやれば直ぐにできる。」と言った。そうしたら公務員の生徒が「能書きばかり言って逃げて、やらない日本の役人より!実行するネパールの役人の方が良いじゃないか」といった。インドの生徒も同調した。 少し、わたしの「人生」で生まれてから63歳までの周りの変化を考えて見た。わたしは、若いときは、「いくら正しい事」を言っても「若い=未熟」と言葉で否定されてしまい、慎重にならざるおえなかった。 ここが、ポイントで「若い=未熟」と言われるときこそ「断じて行えば、鬼神もこれを、避ける」と言う「勇気」「気魂」が必要となる。 未熟時代(若者時代)に、「勇気」「気魂」をもって「Yes!やれる!」と言うことが実力を築き上げる。  ところが60歳を超えると少々「自信がない」「十分でない」事でも若いときの実績が裏づけし「簡単に受け入れられて」しまいす。これも、おかしな話ですが未熟時代の実績の成果です。しかし、チョット危ないので勇気ある若者が熟年者を見なくてはならないと言う事です。 もうひとつ、例をあげれば、友人に伊藤千明さんと言う人がいます。伊藤さんは、太陽光の防災灯、街路灯、避難灯の普及を進めてきた。「大災害が来たとき暗闇のなかどのように避難するのか・・・」と言って受け入れられなかった人がいる。私も「環境防災地区の指定」や個人の家にも「簡易避難シェルター」が必要と言っていたので意気投合し活動していた。 以前は、掃き捨てられていたこの考えも、東日本大震災で浮上してきている。皆さんも若い時、未熟時代に「勇気・気魂」を養い実践してもらいたいものである。