2011年4月5日火曜日

否定的な日本人!肯定的なアメリカ人!

静岡産業大学の大坪学長が雑誌に「否定的な日本人!肯定的なアメリカ人!」という記事を書いていた。 わたしは、「否定とは、臆病な証拠」だと思っている。例えば、みなさんが国の〇〇省や地方の役所に報告書を提出するとする。臆病な役人は、「ここは、こう言われるとまずいから!!」てな具合にいっこうに前に進まない経験をお持ちの方は、多いだろう。 以前、ネパールからの武道研修生と公務員の生徒が話をしていた。ネパールの生徒が「ネパールでは、賄賂をやれば直ぐにできる。」と言った。そうしたら公務員の生徒が「能書きばかり言って逃げて、やらない日本の役人より!実行するネパールの役人の方が良いじゃないか」といった。インドの生徒も同調した。 少し、わたしの「人生」で生まれてから63歳までの周りの変化を考えて見た。わたしは、若いときは、「いくら正しい事」を言っても「若い=未熟」と言葉で否定されてしまい、慎重にならざるおえなかった。 ここが、ポイントで「若い=未熟」と言われるときこそ「断じて行えば、鬼神もこれを、避ける」と言う「勇気」「気魂」が必要となる。 未熟時代(若者時代)に、「勇気」「気魂」をもって「Yes!やれる!」と言うことが実力を築き上げる。  ところが60歳を超えると少々「自信がない」「十分でない」事でも若いときの実績が裏づけし「簡単に受け入れられて」しまいす。これも、おかしな話ですが未熟時代の実績の成果です。しかし、チョット危ないので勇気ある若者が熟年者を見なくてはならないと言う事です。 もうひとつ、例をあげれば、友人に伊藤千明さんと言う人がいます。伊藤さんは、太陽光の防災灯、街路灯、避難灯の普及を進めてきた。「大災害が来たとき暗闇のなかどのように避難するのか・・・」と言って受け入れられなかった人がいる。私も「環境防災地区の指定」や個人の家にも「簡易避難シェルター」が必要と言っていたので意気投合し活動していた。 以前は、掃き捨てられていたこの考えも、東日本大震災で浮上してきている。皆さんも若い時、未熟時代に「勇気・気魂」を養い実践してもらいたいものである。

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