2013年9月19日木曜日

日本武道協議会に加入した団体を「武道」とする定義なら日本は、再度、世界から遅れをとる。

第46回日本武道学会・2013国際武道会議において「振興武道??」について協議された。毎回、「武道の定義」が定まらないまま、「日本武道協議会(日本武道館内)に加盟している団体を"武道"とする。」などと世界から認められない定義が横行している。新田一郎東大相撲部部長は、日本武道学会講演で「歴史学者とし、歴史学的に見て相撲は、武士(侍)の営為にない。日本少林寺拳法は、戦後に日本で誕生し、空手は、唐手から空手となった。これらを武道と称するには、中に持つ全く異質の物を"武道"としている。」と思うと講演した。 歴史学的に見て的を得た見解で講道館柔道ですら大正時代は、柔術の一流派であった。
敗戦によりGHQ(占領軍)により大日本武徳会が潰されるまで圧倒的な数を誇っていた。(1942年日本武徳会224万人、講道館1901年1万人)
 大日本武徳会の理念 『武徳会勧誘書』には、
・「武徳会は、会員あい戒めあい励みて国民の武徳を養成する団体なり」
・「わが国のいわゆる大和魂または武士道というはみな武徳のことなり」
・「平生といえども人と交わるに信義を以ってし、弱きを扶け強きを挫き、善良なる国民として人の尊敬を受くるにはみな武徳を養うより出でざるはなし」
・「国民は武徳を以って心とし何事も信義を重んじて信用を得ずんば、通商上の利益も得難かるべし」  
また、忘れては、いけないことは、1919年(大正8年)に大日本武徳会は「剣術」「撃剣」などの名称を「剣道」に統一した。また、このころ、弓術を弓道と改称し柔術を柔道と改称した。

   PS:"道"について述べれば、571年欽明天皇のころ百済から「仏教」の伝来に呼応して「神"道"」と称されたとある。
 私は、近代、武道に大きな影響を与えた時代は、3度あると考える。
1.西洋化を最良とした「明治維新」。
2.大東亜戦争に敗れGHQ(占領軍)により出された武道禁止令「昭和20年」・・・競技化。
3.東京オリンピック(昭和39年)・・・ショー化、商業化。
 このような変遷をたどり現代に至った「武道」その定義こそ、日本人が明確に自覚しなければ、以後、真の武道は、この世界から消え去って行くしかないであろう。
     世界拳法会連盟 会長 大橋千秋

There is The Nippon Budo Kyogikai(the Budo Cnference in Japan) in the Nippon Budo Kan(Japanese Budo gymnasium). Japanese Academy of Budo were assigned to a definition of Budo and discussed it. Most of opinions assume the group which Nihon Budo Kyogikai determined Budo. Naturally Toyama Ryu Iai Do of Toyama school broken up by GHQ is not included. Full-contact Karete repeating division is not accepted recently. Naturally Japan with this recognition is not recognized from the world. Dai Nippon Butoku Kai was broken up in 1945 by GHQ(An occupation army).Dai Nippon Butoku Kai had 2,500,000 members in the country. Kodo Kan is 10,000 people. The purpose of Dai Nippon Butoku Kai was upbringing of the Bushi Do morality(Butoku武徳).  Budo(武道)is Bushido(武士道). International Kenpo Kai Oruganization President Chiaki Ohashi. PS:Samurai values loyalty. The division of new Karate is not Budo.

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