2008年国際武道研究会 in Nepal Pokhara
講師:世界拳法会連盟会長大橋千秋
日本武道の歴史についてみなさんと討論したいと思います。先ず、私が概略につきお話します。
埴輪などからお分かりになるように1500前に生まれた日本の武術は、生まれたと言う説が主流です。その一つの例をあげれば鹿島神宮神官の国摩(くになずの)真人(まさと)により産み出された技「神妙剣」などのように約1000年前に確立されはじめました。1600年のはじめ松本(まつもと)備前(びぜん)守(のかみ)紀(きの)政元(まさもと)は思うところがあって家老の座を退き、鹿島神宮祝部として神武の顕現(けんげん)に志しました。これを知って鹿島に赴いた國井景(くにいかげ)継(つぐ)もとに鹿島の神前に仕えて備前守は武道大系としての鹿島神流を完成させました。1600年代には、上泉伊勢守信綱により新陰流が生まれ門下である柳生石舟斎は、柳生新陰流を創設します。同じく上泉伊勢守信綱の弟子である小笠原源心斎は明にて「張良の末」より躰術を学び李小龍のような動きをしたと伝えられています。同じように各地で体系づけら武術は、成長していきます。例えば越後では、長尾流躰術などが生れたり柔術の源流と言われる竹之内流拳法躰術が育っています。明治の初頭(1882年)嘉納治五郎により柔道が創設され神道無念流や北辰一刀流などの各流派が剣道と呼ばれるようになっていきました。しかし、学校武道の歴史の中で「○○道」となったのは、大正15年のことでそれまでは、柔術、剣術、撃剣と記載されています。このような時代背景の中で唐手、琉球拳法と呼ばれていた沖縄の武術も船越義珍により本土に紹介されました。嘉納治五郎とともに演武会が行われこの時は、決まったユニフォームがないため柔道着で行われました。この後、柔道着が空手着に変化して行ったわけです。柔道、剣道、空手道は、「競技武道」と変遷しスポーツ性を加味し多くの人に愛される試合数も多い武道となって行きましたが。一方、技が公表される試合に重点を置かず「伝承形式」の「完全相伝」でなく「一子相伝」の形を進むものを「古武道」としました。このセミナーにご参加の各国の拳法会の皆さんは、「一子相伝」では、ありませんが「競技」を重要視ししないで「武士道=武道」として学ぶ事を第一としていることから「古武道」に属するとご認識いただいたほうがよいと思います。
大橋師範:さてK空手の指導員の方にお訪ねします。「鹿島大明神」と祭壇があるのは、空手は、日本古来の武士の営為では、ないが武士道を尊ぶあらわれでは、ないでしょうか。
K指導者:その様に習っています。
1.大橋師範:では、お釈迦様は、ネパールで誕生しましたが拳法の達人であったことは、ご存知でしょうか。・・・・知りませんでした!
釈迦族の王子であった仏陀は、武術、馬術などあらゆる面で優れた人物でした。私たち日本人も仏教哲学の影響を大きく受けています。「黙想」のときに手を組みますが私たちは、サムライですので抜刀しやすいように右手が上に重ねます。平和を愛する釈迦は、どちらでしょう?・・・会場:わかりません!勉強します!
2.ラマ大会会長:ネパールが世界に認められるには、何が必要と思いますか?・・・大橋師範:武士道の根源「義」「信」と確信します。正義(義)は、命をかけサムライは、護り信「信頼」を失くす行為は、切腹します。「義」「信」を貫けば、世界の人々は、信頼します。信頼が多くの人が共同活動をします。
3.ラマ大会会長:タイ、パキスタン、インドも路上に食べ残し、ゴミを平気で捨てています。このような事をどう思いますか?・・・大橋師範:食事のとき「いただきます!」と言う言葉は、ネパール語にありますか?意味は?・・・ラマ会長:ありますが意味が分かりません。
大橋師範:意味は、正しいか分かりませんが「いただきます。」とは、「魚の命、お肉の命、お米の命を頂き我が命を保つ」事と拳法会の合宿では、訓話があり「いただきます!」が食事のときにとなえられます。わたしは、ここにお見えになる先生たちが生徒と共に実践し伝承することで解決すると信じます。大切な命を路上に投げ捨てることは、ありません。サムライにとって「牛の命も鯨の命も魚の命でも平等です。」全て神です。
4.ラマ会長:少なくともサムライと自覚し路上に捨てることを止めましょうね!みなさん!
5.大橋師範:時間も参りましたので最後に「拳法を稽古しているから武道を学んでいるとは、言いません」武士道を学んでこそ武道を学んでいると言えます。東京オリンピックの時のヘーシンク選手は、(略別紙)・・・。礼節ある武士(サムライ)になってください。