武道は、古来から継承された日本の哲学です。「武士道」を「武道」とし拳法会の歴史や訓え各武道界の先生の教えを学びましょう。It is Japanese culture, and Budo is philosophy. Kenpo Kai regards Bushido as Budo. Let's learn the history and a heart(Kokoro).
2009年9月30日水曜日
会津の商人道は、武士道から生まれた。"Syounindo" came out of "Bushido". .
"Syounindo" came out of "Bushido". Syounindo is the philosophy of the merchant.
「士魂商才・真、善、美」の「商人道」は、武士道から生まれた。武士道の殿堂の稽古堂では、士農工商の区別なく志あるものに学問を教えていた。これが会津武士道を確立した「日新館」である。北京の55日の柴五郎、中野竹子など、みなこの会津武士道により育てられた。ここで学んで確立された商人道も「ならぬことは、なりませぬ」の節度と礼徳を尊んだ哲学は、ここから生まれた。
会津武士道 「ならぬ事は、なりません」
義を貫いた会津の武士たち!大変な苦難が待ち受けていた。会津武士は、官軍から汚名をきせられ残虐な目にあってきたが力つよく蘇りわが国の名誉を武士道をもって支えてきた。「北京の55日」の柴五郎中佐も会津出身である。また、中野竹子も会津である。
「ならぬ事は、なりません=しては、ならない事は、してはいけない」 日々の生活の中、ややもすると私利私欲に走り、ごまかしても儲けようなど平然と思う人間や主君を裏切ったり人を傷つけてもあたり前のように思う人間には、そばに来るな何処かへ行けと言いたくなるものである。「義のために死を省みないものほど美しいものは、ない」とここでも記してある。
2009年9月27日日曜日
2009年9月20日日曜日
国際武道大学で学んでいるネパールのブベンドラ選手!教育とプライドが大切!
国際武道大学の別科へ留学中のブペンドラ選手が夏休み中に拳法会で稽古し昨日、最後の稽古をしました。毎日の厳しい稽古で体が動かないと言って休んだのは、1日だけでした。当初1日休んだのですがペルーのミゲル選手に「ネパール人は、根性がない」と言われ更に燃え上がり頑張りぬきました。また、環境カウンセラーの研修会などにも積極的に参加し勉強しました。彼は、
1.どの国でも最も大切な物は、「教育」 Education is the most important in any kind of world country.
2.誇り(プライド)が人間を成長させる。国際武道大学の別科にいることが至福の誇り!拳法会の一員であることが誇り!The pride brings up people, and it is thorny power to get over. I am proud that it is being the student of international Budo University and a member of strongest Kenpo Kai.
3.利を得ることを三番目とする。利に魂は、左右されない。I assume that I profit the third position. The soul is not controlled to profit.
4.知識は、行動、経験の力の半分にも及ばない。The knowledge is inferior to 50% of the power of an action and the experience.
彼は、ネパール人であること国際武道大学の別科生であること拳法会の会員であることにこの上ない誇りをもっている。誇りなき者には、未来がないと言い切った。
私達も日本人であること、拳法会のメンバーであることを思い起こさねばならない。
2009年9月15日火曜日
世界にまた、新しい家族が誕生!おめでとう!EU・Juan本部長!
2009年9月10日木曜日
海上自衛隊の特殊部隊での死亡事故! 「武道必修化」の課題:指導員!!
文部科学省の「武道必修化」と今回の、この報道を考えてみたいと思います。
自衛隊員の徒手格闘術(日本拳法)での養成過程で入れ替わりで16人を相手に稽古中に死亡したことを知ったときに「武道必修化」に伴い同じ事が起きないかと心配しました。
私たち毎日稽古している者(子どもたちも)にとっては、30分くらいの打ち込み稽古は、日常茶飯事に行っていることは、前回Blogで書きました。また、指導員に問題があることも述べました。
今回の指導員は、剣道初段で少林寺拳法初段と記事にありましたが私は、段位では、ないと思います。わたしは、大学時代剣道四段、拳法五段でしたが大学時代の私のほうが未熟な指導者で危険な指導者であったと考えています。もちろん経験は、大切ですが大切なことは、「節度と分別ある心をもった指導員」である事です。私は、決して強い選手では、ありませんでした。19歳や20歳で剣道四段などと言うと「人格が優れ、強い」と思われがちですが全くの思い違いで試合では、負けてばかりでした。フランスのNiceで九段範師を授与されましたが二日まえの稽古で「小外刈り」を失敗し左足首を痛め夜は、眠れないほどでした。そのわたしが生徒がケガをすると「集中していないからだ!根性がない!」と叱咤するわけです。ここまでは、許されるとしこれ以上のことがあっては、いけないわけです。この分別は、徒手格闘術の稽古をたくさん積んだから段位が上だからと言うものではなく「心の修練を積んだ者」が指導者と言えると思います。「初心者指導員」と言うべきものです。私の推測では、上段への打撃のあと転倒し頭部を打ったのが原因では?(全く知らないのであくまで推測)と思います。順番に多くの選手に掛からせる「掛かり稽古」は、決して悪いものではなく指導者のちょっとした気配りかと思います。日本拳法も決して危険なものでなく「掛かり稽古」も危険なものでないことを理解していただきたいと思います。
この様に武道必修化のなかでも「剣道をするものが武道をするとは言わない!武道は、異質のものである」と述べられた新田一郎先生(東京大学教授)の言葉を深く考えてみる必要があると思います。
世界拳法会連盟会長 大橋千秋
PS:拳法会は、日本拳法とは、異なります。
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