武道は、古来から継承された日本の哲学です。「武士道」を「武道」とし拳法会の歴史や訓え各武道界の先生の教えを学びましょう。It is Japanese culture, and Budo is philosophy. Kenpo Kai regards Bushido as Budo. Let's learn the history and a heart(Kokoro).
2025年9月28日日曜日
「移民・外国人労働者について」 「日本の完全失業率2.4%」 ニュージーランドのブレント・ウィリアムさん
ハムストリングス肉離れ 大橋忠幸 2012年1月19日
ハムストリングス肉離れ 大橋忠幸 2012年1月19日
病態
ハムストリングスは内側の半膜様筋・半腱様筋、外側の大腿二頭筋からなる。
肉離れは『急に筋肉が切れたように感じるとともに、脱力や痛みを伴う状態』をいう。
ハムストリングスの肉離れは遠心性収縮によって筋腱移行部で損傷する。疾走中に下腿が接地に至る過程や接地から蹴りだす過程で起きやすく、大腿二頭筋(長頭)が最も受傷しやすい。
肉離れの要因としては柔軟性の低下、ハムストリングス筋力のアンバランス、ウォーミングアップの欠如などがある。
診断
鋭い、力の抜けるような大腿後方の痛みなどを本人が感じることが多いため、問診でも容易に推測できる。
ハムストリングスの肉離れではⅠ・Ⅱ・Ⅲ度に分類する。Ⅲ度が最も重症でハムストリングスの完全断裂である。
損傷部に圧痛点があり筋の硬結や陥凹などが重症度に応じてみられる。Ⅲ度に近いほど欠損部を触れるようになるが、数時間経過すると血腫により触れにくくなるので早期に損傷部の診察を行なう必要がある。
徒手検査では、まず腹臥位で膝関節の伸展を行う。Ⅲ度では完全に伸ばすことができない。次に背臥位にしてSLRテストを行い下肢の挙上角度を調べ健側と比較する。軽症ほど健側との差は少ない。
肉離れがⅡ度かⅢ度で迷う場合はMRIによる画像診断が有用である。
治療
筋内の出血や腫脹を軽減させるために重症度に関係なく初期治療はRICEである。
保存療法が主で、Ⅲ度の場合には急性期の外科的修復術(縫合術)を勧める。
トレーナーとしての競技復帰プログラム
「スポーツ社会学」2011年6月13日
「スポーツ社会学」2011年6月13日
学籍番号 311303 大橋 忠幸
・ Sportの語源
ラテン語のportare(ものを運ぶ)に由来したもので、deportare(悲しい精神状態を捨てる)がフランスに渡り、仕事・生活から離れる、楽しい感情を発散させるものであれば何でもDesporter(ものを運ぶことをやめる)とされ、16世紀イギリスでsporteと表記になり、戸外で楽しまれるゲームや気晴など幅広くスポーツとされていた。その後17~18世紀にsport表記せれるようになった。
・ ホイジンガとカイヨワ
遊戯性をホインジガは一つの自由な行動、非日常、完結性と限定性と考え、カイヨワは自由な行動、分離した活動、絶対負けるなどの絶対がない=不確定な活動、遊びは消費のみであるといった非生産的な活動、ママごとなどのルールのある活動、ビンをロケットとして遊ぶ漫画のような虚構的活動として考えた。遊びの配分をアゴーン(競争)アレア(機会)ミミクリー(模擬)インリクス(眩暈)を単純か複雑かの度合いで表にした。
・ 俗としてのスポーツと聖としてのスポーツ
俗としてのスポーツは自然発生的な営みとされ、娯楽といった生活との関係性がありながらも競争的・競技的な要素も含む。聖としてのスポーツは王位継承等に関わって、競技結果により神々の意思を占うなど祭競技大会から、次第に豊穣と平和を祈る祭典競技会となり神への奉納としての要素をもつ。古代ローマでは市民の不満をそらす為に俗としてのスポーツが行われ、古代ギリシャの古代オリンピックは聖としてのスポーツと言える。
・ 現代スポーツ特有の最大の性質
現代スポーツ特有の最大の性質と言えるのが数値化による記録万能主義である。勝利至上主義の社会であるいま、人を最も納得させることが出来るのが驚異的な象徴概念と言える記録であり、すべての特質を支えるものこそ記録化なのである。この記録万能主義により、記録を管理するために官僚組織化やすべてを計測し数値化する数量化が進んでいる。
・ 国際競技力向上の推進の主旨
国際競技力向上の推進の主旨としては、世界で活躍するトップレベルの競技者の育成強化であり、そのために運動能力の高い競技者を低年齢時代から発掘・育成し(ジュニアエリートプラン)、更にその中から編成していく競技者育成システムを持つ。競技団体だけでなく、地域スポーツ施設の整備など行政や地域等と協力し、常に世界を意識した若年層からトップまでの強化・育成について一貫性のあるシステムが重要である。
・ テレビスポーツ番組の製作者側の選択基準
製作側としてはイベントの大きさや認知度など見世物としての価値をもつスペクタル性、最後まで結果を予測できないようなドラマ性、シナリオとしてのプライバシー情報などマスコミ関係者の特権といえるプライバシー性、生である事の価値や同時的体験の欲求など即時性を持ったライブ性の4つが選択基準となる。初・史上など記録万能主義に乗る。メディアとは現代社会の中心的価値を認め合う場でもあるが洗脳的要素もあると言える。
・ スポーツジャンルの経済性
スポーツの発展には豊かな経済的基盤と社会知識の成熟が必要とされ、そのような社会は体力の生産と楽しみの為に消費を行う高度大衆消費社会であり、宣伝・広告が重要なマーケティング戦略となり、メディアが拠点となる。このことから、現代スポーツは政治的パワーと経済的エネルギーを受容とすることによって高度化と大衆化に分化しながら膨張した巨大メディアモンスターといえる。
・ スポーツ行動様式
行動様式の基準を示すものがスポーツ規範である。参加資格規定やスポーツ場面で守られるべき競技規則などの法的規則とフェアプレー精神やスポーツマンシップと言ったスポーツ状況において望ましいとする行動基準である道徳的規範の2つにスポーツ規範は分けられる。目標達成の為にスポーツ規範の中で合理的な行動を行う技術や合理性をもつ技術を選択的に構成し目的にあった状況を生み出そうとする戦術や戦略も行動様式といえる。
柔道整復実技 大橋忠幸 2011年8月
柔道整復実技
学籍番号211104 大橋忠幸
8月10日に後楽園ホールで行われたWBCミニマム級タイトルマッチが行われた。
王者の井岡一翔選手が指名挑戦者のファン・エルナンデス選手に3-0の判定勝ちし初防衛に成功した。
自分は大学時代にアマチュアボクシングをやっていたので、その時に「高校6冠」など大会成績を残していた井岡選手の名前は雑誌などでよく目にすることがあった。
アマチュアから今年の2月にプロ入り7戦目という日本最短キャリアでの戴冠を果たした井岡選手にとって挑戦者のエルナンデス選手はランキング1位、構えが左右のスイッチを繰り返すスタイルで軽い階級ながらKO率が約7割という、実績と技術が共に高い挑戦者との初防衛戦となった。
実際に試合が始まると井岡選手を軸にスイッチを繰り返して動き回り、あらゆる角度から出してくるエルナンデス選手のアッパーに高い技術を感じた。
一方の井岡選手はガードを上げて左ジャブで相手との距離を上手くとり、左ジャブ→右ボディなどのコンビネーションをつかいながら、上下の撃ちわけが非常に有効で、実際にエルナンデス選手もボディのパンチを受けて体を折り曲げるシーンが何度かあった。
更に井岡選手のジャブで鼻血を出したため後半のペースは一方的な井岡選手ペースで試合が終了した。試合中の鼻血は自分も経験があり、非常に呼吸がしにくいため大きく体力が削られる。
井岡選手は今回の試合が初防衛戦という精神的にも大きな重圧がかかると思うなか、非常に落ち着いていて終始ペースを握るそんな試合展開であった。
自分よりもリーチが短い相手に左ジャブで距離をコントロールし、相手のパンチはバックステップで外すなどして相手の攻撃を潰していた。あとスイッチを繰り返しながらリングを大きく回りながら攻撃を得意とするエルナンデス選手に対する足の運びが上手で、井岡選手が少ない動きで追い詰めることによりエルナンデス選手の運動量が多くなり
後半にスタミナが切れた要因つながったと感じた。井岡選手のKO勝ちを期待できるような場面もあったが、両選手とも非常に高い技術を持っていた。
を持った良い試合だったと思います。
「中学校の武道必修化の問題点と部活動誕生の歴史」 2011.11月
「中学校の武道必修化の問題点と部活動誕生の歴史」
大橋 忠幸
中学校、高等学校などの中等教育においては、部活動は課外授業である。
1958年の学習指導要領では、特別教育活動の1つとして、生徒の自発的な参加によって行われる活動とされていたが、中学校では1972年、高等学校では1973年改訂の学習指導要領から、クラブ活動は特別活動の一領域として必修とされた。
中学校では1993年、高等学校では1992年改訂の学習指導要領では、「部活動への参加をもってクラブ活動の一部又は全部の履修に替えることができる」と明記された。しかし、中学校では2002年、高等学校では2003年改訂の学習指導要領で必修のクラブ活動は廃止され、現在では各校の実態に応じて、課外活動の一環として部活動が行われている。
なお、初等教育、中等教育段階の部活動等に伴う競技については、主催者の明確化、勝利至上主義の排除、参加の本人意志の尊重など、全国的な基本基準が定められており、これに基づいて各教育庁や学校、団体等も詳細な基準や安全対策等を作成し、責任の明確化と児童・生徒の健康や学業に支障のない範囲で活動が行われることになっている。
日本の中等教育における部活動の問題点として、指導要領に明確な規定が存在していないという点が指摘されている。これまで部活動は生徒の自主的な活動と位置づけられ、教員による顧問もまた建前上は自主的な活動とされている。
中学校の武道必修化において文部科学省では
「武道は、武技、武術などから発生したわが国固有の文化であり、相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です。また、武道を積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、尊重して練習や試合をできるようにすることを重視する運動です。」
と書かれているが、武道必修化における問題点は指導者と考える。
「教員の負担を減らし、多くの児童生徒と向き合う時間を確保する観点から地域スポーツの人材を(外部指導者)の活用等について実践的な研究を行う。」
外部指導者により武道の基本動作や伝統的な考えといったものは武道の経験がない教員が行うよりも良い指導が行われると思うが、それに伴いどれだけの外部指導者が授業を行ってくれるのかが重要になってくるのではないだろうか。
そのためにも地域スポーツと学校の結びつきが必要であり、自分を含め地域スポーツの人材としては、もしも外部指導者として必要とされる時のことを思えば今以上に武道に対する考えを深めていかなくてはならないのではないかと考える。