2009年6月10日水曜日

「不安」とは、己自身の心が作り出す「幻(まぼろし)」 拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず。

私は、「拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず」とよく言う。確かこれは、戦国時代の剣聖であり新陰流の祖で「剣は、心なり・・・・」と唱え「無刀とり」、活人剣の、上泉伊勢守信綱の訓えであったと記憶している。 正しい事を判断する心は、多くのものに影響され見えなくなり道をはずれ迷い込んでしまう。そして、「抑圧」され「不安」という幻に怯えてします。そして、その幻から逃げようとする。 子ども達も同じである。心の片隅にある不安が己自身を抑圧し「殻」にこもり「逃避」や「欝」の世界に入り同じ仲間で慰めあってしまう。 それを救う手立ての一つには、「師」である。 その師が不安を打ち砕く「誇り=誇ること」を持たせてくれる。「誇り」は、様々であるが「地上回転」や「逆立」であったりする。幾つになってもこの様にあたえてくれる師を持たない者は、悲しい!「師なき者は、信ならず」とも言われ「心底、人に信用を得られない」のである。 立派な人物は、相談すべき師が常いるものだ。
  「不安とは、己の心がつくりだす幻(まぼろし)」 この幻を打ち砕くのが「誇り=誇れるもの」
                                 世界拳法会連盟 会長 大橋千秋

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