2009年6月13日土曜日

段位の歴史 准段は、拳法会独自の段位!何故生まれたか?

          「段位の歴史」     世界拳法会連盟会長 大橋千秋
段位制度は、大橋宗桂(Ohashi Sokei)1555年(弘治元年) - 1634年4月6日(寛永11年3月9日)により考案されたことは、以前、お話しいたしました。さて、拳法会には、准段(1級と初段の中間)があります。准段は、海外で誕生しました。昭和40年代、50年代に私は、海外で武道の普及を勤めていました。当時は、良質の黒帯で刺繍を入れた物は、日本より取り寄せていました。そこで生徒に「意欲」を持たせることと「経済的」な配慮から黒帯に白い線を1本入れた物を「准段」の帯として准段を制定しました。もうひとつの理由がありました。それは、例として、オーストラリアやニュージーランドの外国の指導者は、いくら優れていても「初段」程度の段位保有者しかいませんでした。当時、柔道では、中島豸木教授(現国士舘大学教授)が五段、私が拳法五段、剣道四段で空手では、ブリスベンにいた辻民夫先生が五段であったと記憶しています。現地のオーストラリア人の先生は、初段でした。従って先生が初段なので先生の1段下の黒帯「准段」が必要となったわけです。(従って、准段は、白い線の入った黒帯だっのです。日本では、茶帯ですが!)どうして日本が茶帯かといいますとわたしが日本に帰国し子供たちの励みのために世界で導入していたカラフルの帯(韓国で製造)と級制度を更に普及しました。現在、フルコン空手で使用されている防具も小手も、元は?と言えば価格を抑えるため昭和40年の初めに韓国の友人に頼みデザイン、製造をし導入して採用していました。その防具の採用で小・中学生のレベルが向上し日本でも1級と初段の間の段位が必要となったわけです。それが准段です。当時は、准段は、中学生を対象としたものだったのです。 また、黒帯に線が入っているのを雑誌などで見たアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアの外人の空手や武道の先生は、「ファッション性」と俺は、「五段とか十段!」だと誇示することを目的とし線が黒帯にたくさん入るようになったわけです。
 しかし、拳法会では、初段より1本入れば、1歩手前の段位だったわけです。
「准段」の段位ひとつにしても歴史があるわけです。

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