2011年3月27日日曜日

子曰く、仁者は、憂えず。知者は、惑わず。勇者は、懼(おそ)れず。


子曰く、仁者は、憂えず。知者は、惑わず。勇者は、懼れず。
〇自分の荷を背負う事が出来てこそ他人を助けられる!体を磨けば、徳につながり徳ある人になれる=仁者になれる。
〇知とは、提灯である!闇を照らす提灯(知識)があってこそ道に落ちている牛糞を避けられる。それが知者である。
〇提灯で正しい道や方向が分っても、正しいことを行うにの勇気がなければ、正しい事を行えない。今を稽古し武士道を磨き「正しい事を行える勇者」となれ。勇者は、懼(恐)れない。

2011年3月21日月曜日

非行:こどもは、金儲けの手段!「携帯電話」「学習塾」「スポーツ体育」まで・・・非行は、親や大人が原因


青少年健全育成につき浜北ロータリークラブで講演依頼を受け江戸時代と現在の環境について調べてみました。この中で子供を取り巻く環境の変化に着目しました。
   先ず、世界と日本の違い。
 1.日本には、支配的な宗教がない。
 2.日本には、「世間様」がある。
  「そんな事をしていたら世間様がなんと言う!」・・・これである。「世間」が道を教えるツールであり手段でもある。

   世界1の教育水準を誇った「江戸時代と現代」の違い。
 江戸時代
1.世間様(地域)が色濃く残っていた。
2.お手伝い教育で買い物に行くと「よく来たねぇ~偉いねぇ~」と飴やお駄賃をくれた。
3.出産で母親が死ぬため父親が子育てに積極的だった。(10万回の出産400人が死亡)
4.寺子屋教育に黒板はなく先生が回って指導しお金でなく「米や野菜」が代価となった。
5.「子曰く、少年老い易く学なりがたし、一寸の光陰・・・」と道を教えた。

 現 代
1.近所の交流がなく世間様が薄れた。
2.お手伝い教育で買い物に行っても「消費者・金儲けの手段」としてレジで扱われる。
3.出産での母親の死亡率が10万回で3人となった。父親がいなくても母親で育てられるようになった。
4.「現代学習塾」となり入試対策の金儲けとなった。
5.入試には、道(道徳的な心・教え)は、不要となった。「少年」「老い」「易く」を断片的に覚えることが重要となった。

 もちろん携帯電話などは、なかった。携帯犯罪が増えているが与えているのは、親であり、大人が子供を消費の対象としている。スポーツも同じで消費、金儲けの手段となっている。サッカー、野球も更には、相撲や競輪など八百長問題に発展している。
 大人が子供を金儲けの手段とし教育と区別する節操を失っている。
     親・大人が考えを改めない限り子供を正しく育てられない。

〇第一の教育の場は、「家庭」 〇第二の教育の場は、「学校」 
 そして「世間様の教育の場」〇第三の教育の場「寺子屋」この寺子屋教育こそが今、拳法会は、大切と考える。
 拳法会は、「荘子曰く、われ日に三度わが身を振り返る。人のためにはかりて忠ならざるか!朋友と交わり信ならざるか!学びて習わざるか!」文を教え意味を教え「心の欲するままに行いてその法をこえず」と行える人づくりをする寺子屋を目指す。

2011年2月20日日曜日

拳法会の神前に礼!「自分の神仏に礼!」「信ずる武道の精神に誓いの礼」

拳法会の神前に礼とは、私たちを守護してくれる神仏への礼です。アジアやヨーロッパを考えても多くの国と固有宗教、思想が存在します。私たちは、平和と感謝、誓いの為に礼をはらいます。
 信ずる「武道の精神」に誓いの礼をします。もちろん、基礎となる拳法会武士道精神は、継承し学ばねば、なりません。しかし、以下も守らねばなりません。kenpo kai worships it to God Buddha to believe in of own. Kenpo kai worships it in Bushido mind.
 1.自分のことよりも相手の事、国や周りの事を思いやる(惻隠)こそ、寛容な心を育てる。Kewnpo Kai take good care of a partner than oneself.
 2.他の文化、精神宗教を尊ぶ。Kenpo Kai value the culture of the partner.
 3.武は、矛を止めるためにある。Kenpo Kai make self-protection if most important.

2011年2月10日木曜日

太平洋戦争激戦の地へ慰霊の案内から(7/2~7/9) 太平洋戦争70年!

今年は、「太平洋戦争70年!」名古屋の足立顧問からソロモン諸島への慰霊ツアーの案内をもらいました。
 また、映画では、サイパンを舞台とした「太平洋の奇跡」が上映されます。
いま、若者に、この戦争のイメージを聞くとアメリカ・イギリス・豪などの連合軍は、「紳士」で「日本兵は、残虐で無謀な戦争をおこし降伏せずに自殺する」というイメージだとの答えでした。
  本当に残虐ですぐに自決するのが当時の日本人だったのでしょうか?私たちの父親や祖父たちは、そんな人格の持ち主だったのでしょうか。わたしは、父親に尋ねた事があります。父親は、「一般人がどんなに残虐殺されたか、お前には、分らない!日本兵の規律は、どの国にも負けない!日本兵も人間だ!」といっもムッとしていました。自分自身が例えば、サイパン、硫黄島などの戦場におかれた時どうするかと自問自答してみました。そうすれば、物量で勝算のない戦場で少なくとも祖国、家族を守る為に死んでいった人達に罵声を浴びせることは、絶対に出来ないとおもいます。
 その島に住んでいた子どもや女子、一般人がそんなに簡単に自害・自殺出来るわけがないと思わざるおえません。 降伏や捕虜になることが出来ない環境であったのでは、ないかと思いました。イラク戦争やアフガン戦争、ベトナム戦争を見る限り「紳士」であったと思えません。
  そこで、ドイツと日本の第二次世界大戦を比較し、少し調べてみました。

               兵員死亡    兵員行方不明  一般人死亡
ド イ ツ(本土決戦)     2,100,000   2,900,000    500,000
日 本(沖縄のみ)   約2,300,000            約800,000(一般人の死亡が多い)
                  捕虜&行方不明
ド イ ツ              3,400,000
日   本               810,000(降伏して捕虜になった人が少ない) 

日本は、捕虜になった人が圧倒的に少なく、ドイツは、国内で激戦があったにかかわらず、日本は、一般人で殺された人が圧倒的に多い事が分りました。降伏できなかったのでは?と思わざるおえませんね。

わたしは、日本国民、とくに若い人達が持っているイメージに間違いがあると感じるようになりました。

  よくよく、各々が調べて正しく認識する必要があるのでは、ないにでしょうか。また、この残虐な悲劇が二度とくり返さないようにするには、どうしたらよいのかを この、太平洋戦争70年を機会にもう一度考える必要があると思います。
是非、みなさん調べてみてください。


              

2011年2月7日月曜日

大相撲に対して欠けている私たちの歴史認識 拳法会の歴史認識!

大相撲に私たちの歴史認識が八百長、野球賭博、暴力事件など絡みあい糸がほどけなくなって来ている。歴史的に見て興行などの経済活動でなりわって来た相撲は、野球やサッカーなどと同じでサムライの営為になかったことは、以前申し上げた。それを国民が勘違いし「国技」「武士道」「武道」とか!勝手に思い込んでいる日本人自身に問題がある。大いに相撲興行で楽しませていただき関係企業や地域も利益を上げているのだから分別ある判断をしなくては、ならない。また、フアンに迷惑をかけては、いけない。自然の姿に戻すべきである。まして、国威高揚の為、日本政府が「国技(国会で決まったわけでない)」とし、もちあげた責任もある。
 拳法会の歴史認識もしっかりしなくては、ならないアジアの国でも大いに興味を持っている。
*歴史認識は、以下の参考資料

2011年1月23日日曜日

サムライ(武士)となり!強いだけでなく「誇り高き」人となれ!


拳法会は、子供たちに夢をもった誇り高き武士(サムライ)になれと修練している。人間の能力は、計り知れないところが多くある。お前の「拳(こぶし)」は、鉄だ!お前なら、砕ける!と常に言い、鍛錬すれば、「石」を砕き!「板」を割るようになる。
 出来るというイメージトレーニングをすることは、未知の道を開く!その子を限りなく大きく育て自身をもたせ己を誇り高くする。
 誇り高きサムライとなれ!

             先哲の師の教えを守れ!
 私たちは、日々多くの人に会います。その時、その中で誇り高き人の「生き様(いきざま)」を探り、参考にしてみて下さい。
 一生懸命に「政治の道」を行く「誇り高き人!」「教育の道」や「料理の道」「芸の道」に打ち込む人は、みんな先生・師である。
 その師の教えは、私たちの人生を確立するため教科書になる。
サムライたちよ!誇り高き人間となれ!


2011年1月16日日曜日

からだサイエンス 第95号「道しるべ」 『障害者武道の発展を願って』大橋千秋

大橋千秋:世界拳法会連盟会長

 今回ほど「道しるべ」にふさわしい人は、いないのではないだろうか・・・・。武道を通して地域の方々に貢献され、また、世界でも活躍され、多くの外国人にも慕われ敬愛されている。「中略」障害者武道協会の活動内容と武士道の真髄についてお聞きした。
Chiaki Ohashi is the person who reported in NO.95th. The person who is good for "「Michishirube」The Mark of the way" will be only one person.He contributes to the town to live in by Budo. Chiaki Ohashi is loved like God from foreigners,too. I heard activity of Association oh Budo for the Disabled and the essence of Bushido. ・・・・  内容詳細は、Click

  雑誌「からだサイエンス」The magazine "science of the body"のWeb 

2010年12月30日木曜日

お釈迦様と武道 Buddaha and Bushido.


お釈迦さんの生誕の地であるネパールから日本の浜松市へ武士道を学びにネパールの人達が来ています。お釈迦様は、武芸の達人で刀や弓は、もちろん投げ技、打撃技(拳技)にも優れていたそうです。その国から「武士道」について勉強をしに来てくれる事は、とても嬉しい事です。私たちは、共に稽古をしながら お釈迦様が生まれた紀元前624年(諸説あり)ごろからの「つながり」と言うか「縁」と言うか?不思議な物を感じました。特に今年、12月に拳法会の修行と四段の昇段審査の為に来日したファタ(武陀)氏の風貌を見ていると仏陀は、こんな感じだったのだろうなと想像を掻き立てられました。
 ブッダの意味は、悟りを開いた人を意味します。
仏教では、修行を積めば、仏陀(ブッダ)になれる!仏陀になるため人は、修行するのだと言っても良いのかもしれません。「悟りを開き」仏様、神様に私たちもなれるなんてワクワクします。拳法会で修行を積むのは、悟りを開くためと思い始めました。
 私たち日本人は、仏教の教えを生きる事の基本思想にしているといっても過言でありません。日本の武道は、お釈迦様の武技の流れを汲んでいるという人も居ます。わたしも、そう思うだけで心が弾みます。
 縁あってネパール拳法会、インド拳法会など南アジアの人々に触れる機会を拳法会と言う武道を媒介とし与えていただきました。そこで、目標として2011年は、釈迦の教えにもう一歩踏み込んでいきたいと思っています。
The place of the birth of Buddha is Nepal. The Nepalese comes for Japanese Hamamatsu City to learn Bushido. The Japanese martial arts are related with the skill of Buddha. There is such a talk, too. It is not positive. However, the dream swells out. But,Buddha was superior in the sword, the bow, the skill of Kenpo.
 They come to Japan to learn Bushido from the country. I am very mysterious. I feel a relationship from the front in B.C. 600. Bushido has a modest heart. Bushido forbid a bad-mouth and a theft, a lie. Samurai value fairness. Samurai work for a country and the nation. These resemble teaching of Buddha.
 A meaning of Buddha is a meaning of the people who found realization.
It is decided that the aim of my 2011 learns Buddhology.
       世界拳法会連盟 会長 大橋千秋 IKKO president Chiaki Ohashi

2010年12月17日金曜日

公平、正直、勤勉、質素、倹約は、日本の誇るべき精神!とはいえ?

公平、正直、勤勉、質素、倹約は、日本の誇るべき精神である。そこで、今回は、少し違った見方で「公平」につき考えたい。
 先日、の稽古であるお母さんが道場の先生のところに来て「体育の授業で”逆立ち”が出来たのは、うちの子だけでした。うれしい!」と話した。その話を聞いて先生は、とても、うれしそうにしていた。そばにいた他の子のお父さんが「拳法会は、基礎運動能力を育てるのが実に上手だ!この子もあの子もうちの野球部の5年生の主力選手で、逆立ちをした子は、キャップテンですよ!先生!今は、野球をやる子が少なくなった!ところで、あそこにいる子もうちのチームに来ないかなぁ~」と話した。そしたら、お母さんが「だめ!だめ!あの子は、〇△チームの四番でピッチャーだから!拳法会で野球チームを作れば、絶対に優勝間違いないのにねぇ~」、それを聞いた拳法先生は、大変「誇り」に思ったようでした。しかし、その顔のどこかに、手塩に育てた子を「盗られる」気持ちが表れていた。そしたら、今年、チャンピオンになり運動神経、体格、技術共に比類ない子が「先生!俺の夢は、拳法会の先生になる事だ!先生のように!」と話した。そばにいた、南アジアから来た指導員が「◇◇君であれば、世界チャンピオンになれる!間違いない!」と言ったのを聞いた先生は、「泣くほど喜んだ」  喜んだり、心配したり、悲しんだり、世の中は、実に「公平・フェアー」に出来ている。
 しかし、少し、多方面から考えて見ると「公平」とは、「バランス」でないかと思う。全員が四番でピッチャーでは、決して良いチームとは、言えない。少子化で選手が不足しているなら野球やサッカーの選手となるのも公平自由である。しかし、拳法会の指導者としては、大いに、寂しい気持ちでもある。公平であると言うことは、苦しい事でもあるのだと感じる。
    「写真は、こんな顔の子に育てたい!」名古屋地区拳法会の子どもたち!