2012年9月15日土曜日

「武道初心集」兵法家の大道寺友山(だいどうじゆうざん)(1639―1730)の著

武道初心集」兵法家の大道寺友山(だいどうじゆうざん)(1639―1730)の著で原著56ヶ条からなり「武士の基本的な心得」を説いている。

 さて、その「武道初心集」だが ここをClick!  第1ヶ条から始まる。

(1)武士たる者は、正月元日の餅を祝うからと箸を取り)めてから其の年の大晦日の夕に到る迄、日々夜々死を常に心に留めるという事を以って、本意の第一とするべきである。
死をさえ心に留めておけば、忠孝の二つの道にも適い、萬の悪事・災難をも遁れ、其の身は無病息災にして寿命長久に。剰え、其の人柄迄もよろしくなり、其の徳は多いのである。

2012年9月8日土曜日

「武道」と「マーシャル・アーツ」「コンバット・スポーツ」は、ちがう。第45回日本武道学会第45回日本武道学会

第45回日本武道学会が東京農工大で開催されました。 ポーランド、韓国などよりパネラーも来日し世界の視点からBudoを見つめました。  今回は、武道は、マーシャルアーツ、コンバットスポーツとは、異質のものであると位置付け意見交換が行われました。 45th Japanease Academy of Budo In this meeting, many opinions were given about Budo(武道). In Kenpo Kai, martial arts, the combatsport are different from Budo. When Kenpo Kai does not use the word to be called martial arts, all world is fixed, but judo and karate, the kendo are not still unified. Budo is Bushido(武士道), Shido(士道).Budo is not the thing which does not learn mind, philosophy of Samurai. It is martial arts, and it is a combat. 「武道」と「マーシャル・アーツ」「コンバット・スポーツ」は、異質。  世界拳法会連盟では、全世界「武道Budo」と言う言葉を使い一部、どうしても理解できない時のみMartial Artsと説明している。「武道とは、日本武士道」でありSamurai(武士)の営為に由来するとしている。その精神を磨く活動、稽古をするものを「武道」としている。競技スポーツを武道とは、言わない。
海外の動向(Europe)
世界における武道の考え方(Europe )
武道のスポーツ化(韓国武道の未来)
生活環境の変化(韓国武道の未来)
所得が増えると変化していく(韓国武道の未来)
 
 
 
 

2012年8月29日水曜日

第5回全国視覚障害者学生柔道大会

第5回全国視覚障害者学生柔道大会(12月22日 浜松市武道館)に開催予定と実行委員会開催予定のお知らせ。  問い合わせ 拳法会本部053-439-0909

2012年8月3日金曜日

2012日本ネパール国際親善拳法選手権大会併に第36回東海地区拳法選手権大会 武道の大会を考える!

2012日本ネパール国際親善拳法選手権大会併に第36回東海地区拳法選手権大会 8月5日 静岡県浜松市南区増楽 浜松市可美総合センター  2012Japan Kenpo Championship & Japan Napal Friendship Kenpo Championship. 5th August. at Hamamatsu City.  今、ロンドンオリンピックの真っ最中ですが柔道やバドミントン、サッカーを見て考えさせられるところが多々あります。私たち武道の目標とする大会とは!  1.各選手の「一喜一憂」について・・・・拳法会の大会では、勝っても負けても相手のところへ行き正座をし感謝の礼をする態度,気持ちを忘れないようにしたい。  2.ブーイング・・・・武道では、実に恥ずかしい。命をかけた戦いに観客は、無関係で静かにするべきです。    3.上位に上がる為の手抜き試合。・・・これも恥ずかしい。武道で負けは、死ぬことです。  4.審判委員長と場内審判・・・・これは、正しい。しかし、相撲の審判は、短刀を帯に差している。もし、誤審をしたら切腹する為である。拳法会の審判の赤と白の旗は、短刀です。「覚悟」です。 The world is at the height of the London Olympics now. There are many places where we are made to think to see judo and badminton, soccer. What will the meeting that we martial arts aim for be? 1.About "the alternate hope and fear" of each player.・・・ By the championship of Kenpo kai, it wants to prevent you from forgetting the for manner and feeling that you sit straight, and welcome thanks to a partner win or lose. 2.About boos・・・In Budo, We do it by a really shameful act. The audience is unrelated to a fight at the risk of life and should be quiet. We write that We test the championship in the Japanese. It is the level that is lower than a fight with real swords. 3.A corner-cutting game to enter the high rank. ・・・This is shameful, too. A defeat is to die by the martial arts. 4.Chairperson umpire and hall umpire.・・・ This is a right system. However, the umpire of the Sumo adds a knife(Katana) to the obi. This is because it commits harakiri if it judges it wrongly. The red of the umpire of Kenpo Kai and the white flag are knives. "It is readiness".

2012年6月10日日曜日

昇級審査 浜松市可美総合センター 武道は、スポーツ審査であっては、いけない。

私は、昇級審査や昇段審査日の夜は、「己の未熟さ」で眠れないときがある。もっと、自信をもって臨める人間力を与えられたのではないか!指導力が不足していた!などと「己の未熟さに」葛藤する。現役で審査主事をしているときは、意見を主張できたが年をとると少年部の審査の任を解かれる。それ故に思いが強くなるのかもしれない。しかし、記録や結果のスポーツ審査でなく、修行や人間性の武道審査であることだけは、もう一度、己に叩き込んで指導することが必要である。     大橋千秋 

The Budo examination is prohibited by the examination of sports. Not result serious consideration, a process and examination of the human nature serious consideration that how long improved are right.  Chiaki Ohashi

2012年6月8日金曜日

日本・オーストラリア・ニュージーランド被災地支援チャリティー

日本・オーストラリア・ニュージーランド被災地支援チャリティー  6月5日 京都ロイヤルホテル&スパ 3.11東日本大震災では、オーストラリア、ニュージーランド両国の皆様には、大変なご支援をいただきましてありがとうございました。同年2月22日には、ニュージーランドのクライストチャーチ市で日本人28名を含む185名の方がお亡くなりになりました。また、オーストラリア東部では、大洪水がおきて多くの方が被災する事態が起きています。私は、浜松市地球温暖化防止活動推進センターのセンター長を務めることから環境と防災の面からなにか出来ることはないかとニュージーランドなど各国の関係者からの支援金でソラー照明からハエたたきなどの寄贈を草の根レベルで推進してまいりました。それ等を花井和夫静岡県会長が大船渡市などに運び、且つ、現地でボランティア活動をしていただきました。この草の根支援協力活動は、これからの世界に非常に意義あるものと考えます。 2050年には、地球温暖化防止活動の節目でもあり、地球の人口が90億となり食糧危機が迫っています。豪の人口は、2200万人から3500万人。NZも440万人から520万人と増加し、わが国は、1億4千万人から8千万人に減少という反対の道を進んでいます。しかし、国土の面積に比べ圧倒的な人口を抱えています。2050年の食糧危機に際し今日の「助け合いの心」を更に発展させて各国が助け合う時代と考えます。今こそ、真の友好がためされ、手を取り合っていくべきと考えます。 Chiaki Ohashi

2012年5月22日火曜日

「2012 Global workshop in Japan」 -中学校武道必修化を契機としたインクルーシブ教育の実現に向けて-

平成24年5月15日               国士舘大学武道・徳育研究所                         企画立案者:中島たけし・泉  賢司・小森富士登    平成24年度国士研究会実施計画(案)  1.タイトル:「2012 Global workshop in Japan」(仮称)    サブタイトル :-中学校武道必修化を契機としたインクルーシブ教育の実現に向けて-  2.共催:国士舘大学武道徳育研究所 / 国際武道大学(予定)   後援:文部科学省or厚生省(未定)/ 外務省(未定)/ 日本武道学会(予定)/     世田谷区教育委員会(予定)/ (一般)障害者武道協会(承認)  3.日時:平成24年8月21日(火) 13:00~17:00     一部:ワークショップ(13:00~15:00)     二部:実技指導(15:00~17:00)     三部:反省会(スカイラウンジ)  4.場所:国士舘大学世田谷校舎34号館(アトリューム)  5.趣旨・目的 今年度から武道必修化が定められた新しい中学校学習指導要領に基づく授業が始まりましたが、特別支援学校中等部の学習指導要領は中学校とは別個に定められ、この武道必修化の波は特別支援学校には及んでいない。しかし、特別支援学校の中には、東京都立青鳥特別支援学校のように昭和34年より体育教科として実施し、昭和44年より単元学習として10月~12月まで、柔道実技を取り入れて年間30時間、卒業までに90時間の柔道実技を行い成功している事例もある。(事故等が少なくなった実例)また、平成18年学校教育法施行規則などが改正され、障害を持つ中学生もいわゆる普通の中学校へ入学する道が明確に定められた。今後、武道授業の中に障害をもつ中学生が参加することにもなる。ユネスコのサマランカ宣言を背景としたインクルーシブ教育=包括教育の実現を目論んだ改革である。           障害を持つこのワークショップには日本の中学校、特別支援学校の指導者を中心に参加者を募り、特に事例発表に関しては富山総合支援学校の太田熊野教諭(本学OB 空手道部)、ルレオ工科大学のアニカ・ナズランド博士等を招聘して開催する。まだ、この分野に関してこの様なワークショップを開催した例が見当たらず、社会的にも大きな意義がある。参加者のみならず、マスコミなどを通じて広く世に問うワークショップとなる。 (中島)

2012年4月23日月曜日

2012年4月11日水曜日

ネパールの武道教育について!大橋千秋氏に聞く!  記者:ルーンゲール In Kathmandu

翻訳:武勉虎
◎ルーンゲール:大橋千秋氏は、世界拳法会連盟の会長であるとともに人文学者で武道哲学者でもある。大橋氏に、武道を通して人間の哲学的訓えについてたずねた。
 大橋:日本の武道(武士道)は、仏教の教えと深いつながりがある。また、釈迦は、あなた方の国であるネパールのルンピニーで生誕している。その武士道精神を基に拳法会は、世界と繋がっている。

◎ルーンゲール:武士道精神とは、如何なるものか、たずねた。
 大橋:「世界チャンピオンとなるのは、容易であるが人生の世界チャンピオンになるのは、難しい」と述べた。この言葉の意味するところは、拳法武術を教えるのではなく一生を通した武士道と言う人間哲学を教え人の一生を完成することにあると確信する。

◎ルーンゲール:ネパール拳法会・ネパールの青少年健全育成を確立するには、どうしたらよいか?手法をたずねる。

 大橋:ネパールの青少年には、学校教育に特に体育教育が必要と考える。小学校に体育教育があれば、心身の健全育成と共に「お互いに協力」することを体得し譲り合いの精神を養うことが出来る。先ずマナーを守る意識を養う為にも「体育教育」は、必要です。


◎ルーンゲール:ネパールで武道は、大変人気がありますが問題点についてお話下さい。
 大橋:人気があることは、大変に嬉しいことですが複数の空手、柔道、剣道など乱立しています。皆それぞれ主張が強く、まとまって行動することがありません。生徒も指導者も一貫性がない状態です。このあり方を是正し共に学び統一見解とし体育教育などを提唱すれば、ネパールの若者をより健全に育成し更に社会に貢献するようになると確信します。


◎ルーンゲール:ネパールにおける日本武道について。
 大橋:日本の武道は、特権階級であった武士(Samurai)が礼徳(礼儀・道徳)を修得し惻隠(おもいやり)と感謝の精神と公共性(昔は、国・主君)を根本としています。拳法会は、武道=武士道と理解しています。その武士道精神を南アジアへ伝承するネパール拳法会は、重要な立場にあります。おおくの武道関係者に伝承しなくてはなりません。その自覚を促すことを、日本側からネパール側にもお願いしたいと考えます。

◎ルーンゲール:ネパールにおける「武道と政治家の関係」をどのように見ていますか?
 大橋:ネパールでは、何かあれば、直ぐに政治家とか大臣とか「権力主義」が好きな人が多いようですが武士道とは、哲学であり、ここでは、政治とは、別物と考えるべきでしょう。その教えは、個人のためでなく国家であり全国民の為でるように公共の精神をもつSamurai(サムライ)の育成にあります。(武士道の「主君の為になる事」とは、「公共のためになる事」です。)
ネパールの政治家も日本の政治家も多くは、「武士道と礼徳」を守って道を貫いているとは、思えません。(ここでは、本来、政治家、役人は、サムライでなくてならないが隔たりがあるので別としておきましょう。)


◎ルーンゲール:ネパールで武道を学ぶ若者に一言
 大橋:ネパールの若者全体が「志が低い」と考えます。大きな志があれば、小さな目先の利で道を変えたり、迷うことはないからです。日本もネパールもアジアの小国です。志を大きく持っていれば、大国から餌をぶら下げられても動かぬものです。若者のみなさん、自分の大志を明確にしていれば、自分が勝手に見る幻に惑うことは、ありません。

◎ルーンゲール:ありがとうございました。先生のお話は、ネパールの若者に大きな影響を与えたと確信します。

2012年4月9日月曜日

「武道教育に思う」  近田孝夫師範

「武道教育に思う」
                                    師範:近田孝夫
 平成二十四年度から中学校で「武道」が必修となります。それを受けて事故の多い柔道を避け、剣道を選択する学校が多いように報道されています。何か議論の視点がずれているように感じるのは私だけでしょうか。
 そもそも武道とは、武術の習得の延長線上にあるはずです。武技、武術を身に着けて人と争う時、勝負であれば敗者は程度の差はあれ障害者になるか死ぬことになります。試合でも師範や熟達者の指導下で約束された立ち合いでなければ危険性は変わりません。本質的に死を背負っての訓練でした。剣道で竹刀が工夫され、防具が考案されたのも弟子が安全に練習に励めるようにということからでした。
 元和偃(げんなえん)武(ぶ)(大坂夏の陣が終わって戦国時代が終息した)と呼ばれる時が来ると、武芸は武士の嗜みとなり、必殺の武技を身に着け、人と生死を賭けて戦う必要がなくなりました。勿論個人的な戦い(「果たし合い)など)がなくなったわけではありませんが、生死についてより深く考究されるようになりました。「(1)剣禅一如」という言葉はそんな中から生まれました。「(2)刹那」を感得することで「(3)もののあわれ」を知り、より道徳的な感性を磨くようになりました。そうして生まれたのが「道」です。およそ「刹那」を感得することで進歩の求められるもの全てに「道」は付きます。武道は固より茶道、華道、香道と、全て同源です。
 武道教育と言いますが、何を求めてのことでしょう。必殺の武技を身に着けさせようと言うのでしょうか。中途半端な技術の養成でしょうか。どちらも違います。「心」の修行を大前提にしての出発であったはずです。しかし、今現実に議論されているのは、
「指導者がいないので○○は採用できない」
とか、
「○○は危険なので○○を採用することにする」
といった便宜的な運用面を前提とした意見ばかりです。
 「指導者が技術者である必要はない」
本来の目的からすれば、講義を受け持つのが武道経験者でなくてはならないという縛りは必要ありません。座して静思するのも武道修行の大事な要素です。その指導ができない教員はいないはずです。
小手先の技術を演錬することで武道を学んだことにはなりません。究極の目標としての武道精神を得ることにはほとんど結び着きません。剣道をしていれば、柔道をしていれば武道に励んでいるということにはならないということを承知しておくべきです。
 
 1 剣禅一如;剣の道と禅の奥義は真理において同一だという考え。
2 刹那;瞬間を意味する。非常に短い時間。
3 しみじみとしたおもむき。
『・・・・・・
試し合い(試合)は、己の技量を試す場で武道の求める目標ではない!  平法の剣(塚原卜伝 鹿島新当流)や活人剣(上泉伊勢守信綱 新陰流)は、拳法会と同じく「和の武道」、「幸せの武道」を目指していたと考える。 競技、スポーツでは、所詮、競い合う事で不安が生まれ、健全なる心の幸せには、つながらない。
勝者は、常に一人! 
その勝者も限りなく闘わねばならぬ! 
常に幻にさいなまれる己のみが残る。
その状況下では、真の「和の武道」は、見つけられない。武道教育とは、幸せの道標(みちしるべ)を示すことにある。 試合(ためし合い)の愚かな者になってはいけない。そこには「和の武はなく」幸せはない。 学校で部活動や武道必修化で指導する先生はご留意いただきたい。部活、柔道、剣道、拳法は、健全精神を養うと思う迷信から脱却しなくてはならない。』        
『拳法会は、幼児武道教育も大切にしている。マットの上で自由に運動させる事により潜在的な能力を引き出し精神の健全性にもつなげたいと考えている。この時期から年長者とも共に稽古し技術の優れた年長者に敬意を払い、同時に年長者にも惻隠の情を育てあげる事が可能である。現在の学校教育で混在しているのは、教師自身が
「スポーツ=スポーツ基本法」「体育=教育基本法」「武道=武道必修化」
の目的役割を明確に理解していないところにある。しかし、拳法会では、指導員は明確に認識している。とは言え全世界の拳法会の指導員が全員認識しているかといえばいささか疑問であるが、ほとんどが現場で体得していると理解している。学校教育のなかで多くの教師が、
「体育教育は、大会で良い成績を修める試合至上主義がよい体育教育だ」
と勘違いしている。保護者も同じで、市内大会あたりで優勝すれば大喜びである。
「体育とは、健全なる体をつくり運動能力を向上させることにより健全な精神・心を育てる事である。記録を伸ばし、試合で勝ち、メダルを取ることは『スポーツ』である」
拳法会の前半の稽古は、突き蹴り、投げなどの武技に重点をおかないマット運動などの「体育教育」に重点をおいている。体育教育を補わなくてはならない現実からである。
そして後半の稽古は、「武道=武士道」の精神・心を育てる稽古・修行に入る。武道教育とは、稽古を通して「日本の歴史、伝統、文化、護身の技を体得させ、修行の中から武士道という精神性を高める教育」である。この時間帯は、大人も子供もない。師も弟子もない! 全てが未熟と心得ている求道者なので先生も生徒と共に汗を流し、道を説き、求める。
例えば、九月十八日の訓えの言葉は、
「一度の善行は、千回の善話に勝る」
と、
「本年六月二十四日に施行された"スポーツ基本法"第十七条と十八条の矛盾を考える」であった。    
世界拳法会連盟会長 大橋千秋』

これは私の所属している「全日本拳法会」の会長の講話を転記したものです。いみじくも「武道」の本義を語っています。
勝つことを至上とする意識からは心の豊かさは得られません。勝つことをひたすら追求することと健全な精神を養うことは、現状では決して両立させられません。
柔道がスポーツ化していることは、多くの人が認める事実ですが、武道としての在り方は日本の伝統的な精神でもって再構築できると信じます。
剣道も試合以外ではかなりスポーツ化していると言わざるをえませんが、試合でのガッツポーズの禁止など「道」の部分は辛うじて残っています。
相撲も発生当時の武術的傾向はほとんど残っていませんが、精神性を垣間見ることはできます。試合後のガッツポーズなど、改善すべき点は多々ありますが、今後の指導如何でしょう。
本年から導入される「武道」の授業では小手先の技の指導ではなく、心の在り方に重点を置いた本質的な武道教育を目指して欲しいと思います。

2012年4月8日日曜日

講演「教育は、命の継承」 講師:大橋千秋 場所: ナショナル・インターナショナルスピーチトレーニングセンター



1.「会場の聴講者から「尊敬」について教えてほしいと要望」
あなたは、空手・剣道など「競技」をすることだけのモノを武道と思いますか。「より早く、遠くへ投げる」「ポイントを挙げる」このようなものは、スポーツです。日本は、2011年には、スポーツ基本法が制定しました。メダルを取ったり良い記録を出すことを支援する法律です。武道は、スポーツでは、ありません。武道は、武士(samurai)の哲学です。 武士道(Bushido)は、武士・サムライ(Samurai)の究極の「道徳」「礼」「尊敬」から成立している。Budoは、「Ki」です。単にヒットしても、ポイントにならない。勝敗は、自分自身が最もよく分っている。審判の判定に意義を言うのは、武士・サムライ(Samurai)の恥です。動揺することも恥である。勝敗よりもその時の態度が大切です。試合後の正座(Seiza)の礼も感謝と尊敬の表れです。 
1.There was a demand when I wanted you to teach it about "respect(Sonkei)" from the listener of the meeting place.
Do you think that you do "a competition" including karate, Kendo to be Budo? Such a thing "giving a point" "it is earlier, and to throw far" is sports. Basic Law for sports established Japan in 2011. There are not the Budo(martial arts) by the sports.The Budo(martial arts) are philosophy of Samurai. Bushido is established from ultimate "morality" "etiquette" "respect" of Samurai. Budo "is Ki". It is not merely pointed even if make a hit. Oneself understands victory or defeat best. It is Haji(shame) of Samurai to say significance to judgment call. It is Haji(shame) to be upset. A manner than victory or defeat at that time is important. The etiquette of Seiza after the game is an outcome of thanks and the respect, too.
次は、2.「平均寿命について話しましょう。」
   ここで、質問です。インドやネパールなど南アジアのみなさんにお聞きします。日本の平均寿命は、83歳です。南アジアの平均寿命は、何歳ですか。 会場から、60歳代です。皆さんは、何故に20歳の差があると思いますか。 会場から、辛いもの食べるから。それもあるでしょう。私は、ルールだと思います。日本では、学校に「体育」があります。子供たちは、水泳を学びます。タイでは、子供たちが1100人も1年で溺死します。日本のSamuraiは、身を守るため刀が抜きやすい左側を歩きました。皆さんの国の道路は、右や左や真ん中を我先に歩いています。車も同じです。多くの子供たちが怪我をして死亡しています。明確な教育のルールが必要です。優秀な技術者は、安全な医療機器や車を作り出して医者になることで病気を治します。武士道・教育は、命の継承です。
2.The next will talk about the average life span.  
Here, it is a question.I ask all of you of the Southern Asia including India and Nepal. The Japanese average life span is 83 years old. How old is the average life span of the Southern Asia?From a meeting place, I think it to be in its 60s.Do all of you think that there is a 20-year-old difference in why?Because, from a meeting place, we eat a hot thing.There will be it, too. I think that it is a rule. In Japan, there is "physical education" in the school. Children learn swimming. In Thailand, 1,100 children are drowned in one year. Japanese Samurai walked the left side that a sword was easy to go to protect the body. The roads of the country of all of you walk the right and the left and the middle rushingly. The car is the same, too. Many children are hurt and die. A rule of clear education is necessary. I cure a disease by the excellent engineer creates safe medical equipment and cars, and becoming the doctor. Bushido, education is the succession of the life

   3.「地球環境について、どのように考えますか。」  
私は、カトマンズの町で大変に驚いた。夜7時で停電となり朝まで続きます。しかし、町は、蓄電池と太陽光で機能を失わず電気がついています。これは、凄い。 さて、日本は、CO2の削減目標を25%に定めてソーラー発電や節電を進めています。しかし、誰が25%削減を決めたかがポイントです。2050年に日本人口は、50%削減されます。人口が半分になれば、CO2の削減が25%は、とても簡単と言うことです。問題は、あなた方の国が大国の影響をうけずに正しい決定が出来ることがポイントです。わが国の日本と南アジアの小国は、政治家と役人が混迷している。みなさん自国を愛して行動を起こしましょう。
   3.Ohashi sensei is in the global environment and how does think? 
I was surprised very much in a town of Katmandu. It becomes the blackout at 7:00 p.m. and follows until morning. However, the town does not lose a function by a battery and light of the sun and is lighted. This is great.By the way, Japan establishes a reduction target of the CO2 in 25% and pushes forward solar generation and economy in power consumption. However, who decided 25% reduction is a point. As for the population of Japan, it is reduced 50% in 2050. If population becomes half, it is to say that 25% of reduction of the CO2 is very simple. It is a point that the problem can do right decision without your country being affected by the large country. In Japan of our country and the small country of the Southern Asia, a politician and a government official are stupefied. I love all of you own countries, and let's take action.

2012年3月7日水曜日

武士(サムライ)の棟梁の条件!About a condition to become the President of Bushi(Samurai).Geji & Heishi.

武士の棟梁となる条件の第一は、源氏か平氏、どのルーツに属するかです。
There is a condition whether is Heishi(平氏) whether it is Genji(源氏) in one of the conditions to become the President of Bushi(武士Samurai). In Japan, the thing which does not fit this condition does not fit the President of Bushi for a long time.
 1.「源氏Genji」は、二十一流あります。嵯峨、仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、村上、冷泉、花山、三条、後三条、後白河、順徳、後嵯峨、後深草、亀山、後二条、後醍醐、正親町の21天皇です。その中で武家源氏と公家源氏にわかれ天皇の子、孫以降、三代続いて朝廷の上級貴族としてなれなかったものが地方の荘園にいって土着したものです。源氏とは、武家源氏である清和源氏が代表です。Genji has 21-style. It is the descendant of the imperial family. Seiwa Genji is a representative.

 2.「平氏Heishi」は桓武、仁明、文徳、光孝が代表的な平氏で、桓武以外の平氏は源氏と同じ天皇からの流れです。兄弟から源氏と平氏にわかれました。平氏といえば桓武平氏が代表ですが関東から東北の平氏が坂東平氏です。総称して坂東武士といいます。また西国や京都に残った平氏が伊勢平氏で一般的な「平家」とは、伊勢平氏の平清盛の一統をさします。Other than Kanmu Heishi, it is the descendant of the imperial family. Heishi of the East Japan is called Bando Heishi. Heike means Ise Heishi.
The person whom this origin does not have cannot become the President of Samurai(武士).

2012年2月20日月曜日

文科省は、やっと部活動やクラブのスポーツ障害の検査!しかし、死亡事故は、増える?

以前より、中学の過度な部活動大会主義に異をとなえてきたがやっと文科省が動いた。しかし、少子化と運動能力低下、指導能力不足で事故率、死亡率は、益々、あがるであろう。 参考資料
    ・・・・・・・・・・・・・
 10年ぐらい前から私たちが主張してきた学校の部活動によるスポーツ障害に文科省でもやっと取り組みがはじまったが、現場の声が活かされていないと共に部活動やクラブでも現場は、脆弱な指導者がほとんどなので抜本的改革が武道必修化と共に望まれる。特に、学校教育や地域クラブでは、競技・大会など主な目的ではなく教育と自覚させるところからはじめねば成らない。野球、サッカー、テニス、バスケットなど多くの指導者に問題がある。更に、柔道も競技化が進んでいるので大いに留意しなくては、ならない。  
更に、忘れてはいけないのは、先天的に頭や心臓など死につながる障害・問題をもつ子どもたちを医師や健康診断で見つけるシステムを組み込む必要が不可欠である。 

また、部活やクラブの地位が明確でない。教師も指導者もボランティアの低い意識レベルの指導者では、危険極まりない。






2012年1月22日日曜日

日本人は、節度を尊ぶべきである。節度のない金銭を得る事は、武士の恥!



「礼節」とは、「礼儀」と「節度」である。「野球のメジャーリーグ移籍で6年間で46億円の契約額」これは、とても凄いことだ。野球をする人にとっては、「夢」であり「目標」でもある。 わたしも「夢」があり野球は、これでも良いと思うが 礼節、礼徳を尊ぶ日本人として「これで良いのか?」と私同様に憂慮せざる負えないと心を痛める人も少なくないと思う。 それは、日本人のもつ「謙虚性」「節度」の精神である。節度とは、己を律してその法を越えないことである。己の心の法を越えない事である。報酬も同じである。少なくとも日本武士道では、恥ずべき事であると心に留め置かねばならない。 



 私は、そろそろ、競技での優勝・勝利至上主義と、そこからの利益誘導型の西洋的な考えから特に、メディアは、脱却し日本の伝統的な心の価値を認識すべきではないかと考える。もし、この小さな国とその国民が節度を失う事があれば、人間のレベルは、世界に認められず惨めな道を進むしかない。



2012年1月6日金曜日

「和の武」技をかけられて良い気持ちになる技を求める高橋一郎師範




Ichiro Takahashi is Takahashi style of Daitoryu Jujyutsu. He is the All Japan Kenpo Kai Shihan,too.His aim is the Waza(technique) that is not painful. A person suppressed in Waza feels good. He wants to get rid of the last end(Kime or Todome). Ichiro Takahashi establishes a new style. He is an aim in peaceful Budo(Wa no Bu).
高橋一郎師範は、全日本拳法会の柔法師範です。高橋先生は、大東流柔術高橋派です。高橋先生の目標は、痛くない技です。高橋先生に技をかけられた人は、良い気持ちになるのです。敵が襲い掛かってきても投げられ抑えられるのですが敵意は、なくなり、とても良い気持ちになるのです。先生は、最後の「決め」「止どめ」を無くしたいと考えている。高橋一郎先生は、新しいスタイル、高橋流を確立し更に向上しようとしています。先生は、「和の武」を目指しています。 これは、大橋千秋師範の「平成の武(Heisei no Bu)」と同じ道です。高橋一郎師範と大橋千秋師範の出会いは、高橋先生が仕事の関係で大阪から浜松に来られ偶々、大橋先生が浜松市の依頼で「護身の街づくり」の講演をしていました。その講演を聴きに言ったのが出会いです。 「護身の街づくり」の講演が終わった時、会場から「実技を見せてもらいたい」と声があがりました。しかし武道の未熟なものに相手をしてもらえば、怪我の基です。大橋師範は、会場を見渡しました。中ほどに座っていた人物に並々ならぬ「気」を感じました。大橋師範は、言いました。「失礼ですが、合気道ですか?柔道でしょうか?お手伝いをして頂けますか?」その人物は、立ち上がり「大東流です。喜んで!」その人物こそ高橋一郎でした。鹿島新当流の塚原 卜伝が「平法の剣」、上泉伊勢守信綱が「活人の剣」を極めようとしたのと同じで高橋一郎先生も「和の武」を極めようとしています。