2009年11月23日月曜日

「成らぬといふは、成し様足らざる故なり。」葉隠武士道 Own effort and technique are enough for cannot do it. Hagakure Bushido.


葉隠武士道に「成らぬといふは、成し様足らざる故なり。」と云う訓えがある。
 物事が巧くいかなかったり出来ないのは、自分自身の努力や手法が十分でないからである」と訓えている。「自得は、畢竟己にあり」である。
 もう一つの面から見れば「成果というものは、その時の状況、運命など第3者的なものに大きく左右される物」である。従って「己自身の成ったか否かは、己自身の心の満足でしかない」この心の制御が上手にいかないと「満たされない心が幻を見てしまう。」そして、幻を見ていることすら分からなくなってしまうものである。大学の空手部の監督から現代の空手の世界は、次から次へと新しい流派や団体が生まれると云う話を聞いた。進化していると受け止めるべきか?否か?しかし、これが心の制御が上手にいかないで「満たされない心が幻を見た」結果であれば、葉隠れで云う「成し様足らざる故なり。」である。ほとんどの場合は、これにあてはまり消え去っていってしまうのである。とは云え、柔道の嘉納治五郎先生のように柔道は、柔術の一つと思いつつも「教育」という理念のもと確立したものもあることも心得なくては、ならない。Own effort and technique are enough for cannot do it. This is teaching of Hagakure Bushido. The result is affected by fate. It is important that We do the evaluation by oneself. It is important that we notice the dissatisfaction being the illusion that the heart that is not satisfied watched.

2009年11月17日火曜日

人の縁と言う輪(和)を失うと灯台を失った船となる。We lose a course if We lose a relationship.

The human being does not become it unless we value a relationship. The relationship is continued by an ancestor. We lose a course if We lose a relationship.
 「人の縁は、大切にしなくてはならない。先祖からのつながる縁を断つようなことをしてはならない。特に先哲の師との縁を失えば、暗闇に光を失ったようなものである。一族も同様である。主人が死んだからと言って主君や師を疎かにすれば、暗闇の中の人となる。およそ、武士たるものは、七生報国の肝が据わって武士と言える。」

 ヨーロッパに柔道を広めた人の一人に道上伯先生がいます。わたしは、ヨーロッパの柔道のホセ先生のお宅の食事会に招かれ一枚の写真を見つけました。ホセ柔道師範が持っている写真の左が故道上伯先生、右がホセさんです。
 その、道上伯の先生が村井正直先生のお父さん(嘉納治五郎の愛弟子)です。私は、今年の7月に、この事を国士館大学教授の中島豸木(Takeshi Nakajima)先生に連れられ京都に伺ったおり、村井正直先生との会話の中で知りました。   http://kenpokaioshie.blogspot.com/2009/07/blog-post.html
 私は、ヨーロッパのスペインでも人間は、人がこの世に誕生してからの縁と言う輪(和)でつながっている事を深く認識させられました。 人は、この縁を「自己の面目や利、愚かさで「」で捨ててしまいます。この縁を失うと道に迷ったとき道路標識がないのと同じ状態になり、抜け出すことができなくなります。また、愚かな人間は、迷っていることすら気づかなくなります。人生の道路標識や灯台を大切にしたいものです。            
   世界拳法会連盟 大橋千秋  053-439-0909

2009年11月15日日曜日

礼儀というよりも礼徳を説いている。The etiquette of Budo preaches etiquette virtue not a ceremony.

The etiquette of Budo preaches etiquette virtue not a ceremony.
山本敏雅先生よりお借りした「武道の礼儀作法」野中日文著につき紹介させていただいている。この著書の思いは、単なる儀式である「礼儀作法」ではなく私達「武道人」への批判と警鐘そして日本人のあるべき姿を想って書かれているのでは、ないかと推測する。著書の中では、「決して他集団を批判しているものでない」と述されているが大いに批判されたと感じた。これは、同じ思いであると受け取ってもらっも良い。また、無断で著書を紹介したり一部を公開しているのもこの著書を読んだものが道場で実践することを著書自身が求めていると勝手に拝察したからである。私は、合気道は、30数年前に中島豸木国士舘大学教授に3ヶ月、豪タスマニア大のクラブで、友人の溝垣護氏の引き合いで塩田剛三先生から数時間、そして拳法会の柔法師範の大東流柔術の高橋一郎先生から今も学んでいる程度である。と言っても、高橋先生が生徒に教えておられるのを見て「摩訶不思議な術だなぁ・・・と言いながら木刀を隣で振っている」程度である。そんな未熟な者であるから諸般をお許しいただけると思っている。
 さて、余談は、さておき「礼儀というよりも礼徳を説いている」についてである。「薪水の労をとるとは、どういうことか」という事が記されている。師に近侍し朝の洗面から夜、寝るまで仕えわが身を修業することである。スポーツは、遊びであるが修行は、学び己を崇める事にある。私達の時代であれば、合宿寮で先生や先輩の朝食の準備から稽古の準備、入浴、就寝までの修行である。ご飯の盛り方、箸の付け方、入浴の三助のやり方など規則付けられていた。武道の素質に乏しくて純粋な武道バカのわたしには、テクニックを学ぶより大変な勉強になった。「礼徳、武徳」を教えて頂いたと言える。このようなことから野中日文先生は、「礼儀というよりも礼徳を説いている」と感じている。
 またまた、余談であるが師と想う、故太田敏氏が「大橋が、素質に優れていたり、純粋な武道バカでなければ、異種格闘技との真剣勝負に勝てなかった!」と常に言われていた。まさにその通りで拳法や剣道の試合と「命と日本武道の名誉」をかけたルールのない真剣勝負とは、異質の物である。いつも紙一重で切り抜け今日あるのは、神の加護と礼徳の修行のおかげと心得ている。常に奇跡と言うものは、付いて回ると痛切に実感している。  世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2009年11月13日金曜日

モノをまたぐな!刀の鞘があたれば、斬りあいとなる。 武道の礼法 Do not step over the thing.

Do not step over the thing. When the sheath of the sword touched it, Samurai fought.
「モノをまたぐな!」刀の鞘があたれば、斬りあいとなった。拳法をやっているとやたらに足の指が器用になる。相手の道着も指で掴み投げようとする。若い頃などは、寝そべっているとついつい、足で新聞やモノを引き寄せていた。そんな私だが竹刀や刀は、またいだ事はない。また、しないの先革を床につけたこともない。プロレスや最近流行となった空手の映画のなかの稽古で竹刀でやたら人を叩いているの見て憤りを感じ軽蔑さえした。何故、このような事が平然と出来るのか?空手は、サムライの営為になったものだからと!納得せざるおえない。

 刀を魂とする武士、サムライは、竹刀をそのように使わないはずである。少なくても拳法会では、そのような事が絶対にないことを願う。

2009年11月12日木曜日

道場での「礼」  武道の礼儀作法 野中日文著から


野中日文著の「武道の礼儀作法」と言う本を山本敏雅先生から借りて読んでいる。とても、反省すべき点が多く発見され恥ずかしくなる。私などは、未熟なので剣道で「よい小手」が入ったと思うと若い時の癖で思わず「お小手は?」と言ってします。また、拳法でも審判に「妙にアピール」してしまう。学生選手時代の四段、五段時代からなんら進歩していないのに気ずかされました。 (若い!若い!)
 著書には、「勝ちは、譲れ!奪うな!」とあり、応えには、慎みをとある。相手が「参った」といったら「不十分でした」と応じよとある。相手の不十分な突き蹴りでも「頂戴いたしました」と応えよとある。未熟な私では、「なんとぉ~!まだまだ!」と言っているだろう。 また、師に昇段を薦められ「未熟ですからと断る」ことほど非礼なことは、ないと序している
  以下、2009年後期昇級審査の動画であるが受験者は、別とし見ているものの姿勢当初は、正座)が時間がたつにつれ崩れてきている1時間近く正座をするのは、現代では、無理とは、やはり、正しい姿勢で応援して貰いたいものである。あぐら座りにも品格と言うものを感じてこそ誠のサムライと言える。 最後に最も恥ずべき行為は、相手への「批判」の言動と言うことを忘れては、ならない。マスコミでは、批判や評論を言えるものを崇めている。全く愚かな話で「恥ずべき」事と自ら肝に銘じねばならない。 以下、動画!受験している者は、大変上手!観戦者は、最初は、正座をして見ているが・・・
  

 

2009年11月9日月曜日

2009後期静岡浜松地区の昇級審査

各地区で2009年後期の昇段昇級審査が行われています。ココでは、静岡県の浜松の昇級審査の申し込みと方向につきご紹介します。 出題傾向は、子どもには、難解ですが親との連携を目指しているように思えます。
                                                平成21年11月吉日
会員各位
                                               浜松地区拳法会本部
                                               本部長 大橋 正康

平成21年度 下半期浜松地区昇級審査のお知らせ
本年も、昇級審査の時期がやってきました。皆様、いかがお過ごしですか。
平成21年度 上半期昇級審査を拳法会規約審査要項に従い下記におきまして実施いたします。   申し込み用紙に必要事項を記入し作文・審査料を添え捺印の上、各地区の先生にお申し込みください。

                    記
日  時  平成21年11月28日(土) PM 7:00より
会  場  拳法会可美支部道場(可美総合センター)
所持品  筆記用具、道衣、タオル、レポート(作文)
審査内容  実技、筆記試験
申込期限  平成21年11月21日(土)可美支部練習終了時まで
      申込用紙に必要事項記入捺印の上、審査料を添えて提出してください。
      審査料 三級・四級・五級 3,500円 
      レポート(作文600字以上)は、審査当日点呼時に提出していただきます。
注意事項  ●健康の優れないものは、参加しないこと。
      ●当日、健康の優れないものは、各地区の先生に届け出ること。
      ●拳法会規約に基づき、審査における事故及び障害の責任は、一切負わない。
★レポート(作文)テーマ
5級拳士    拳法を始めて変わったこと、これからの目標。
4級拳士    拳法会の中で好きな稽古、嫌いな稽古、自分のこれからの拳法での目標。
3級拳士    拳法を続けてよかったこと、自分が将来やってみたいこと。

               切り取り線

浜松地区昇級審査申込書

所属   浜松地区拳法会        支部

氏名                    ㊞

生年月日         年   月   日生(  )才 学年     年

受験級位        級     帯のサイズ         号

現級・級位取得日



平成21年度 下半期昇級審査出題傾向
筆記試験 3級拳士
1.次の問題で正しい方を○で囲みなさい。                      
※ 下記の3文を覚えてきて下さい。
  ア、左 前右利足立ちの時、後ろの足は右足に重心 をかけ、前足は 
    左足を真っ直ぐにし、上体を後方に倒し、左 正拳にて下段払いをする。
  イ、拳法会拳法の礼法は、剣の理論からなり、古来の武術と同じ流れである。
  ウ、拳法会の修練で最も大切なことは、他人に勝つ事でなく我に勝つ事である。
2.次の問題で(   )の中に、当てはまる言葉を下記から選びなさい。           
※下記の5文を覚えてきて下さい
  ア、技の四大要素とは、力、早さ、機会、調子である。
  イ、拳法会拳法は、体育、知育、徳育の基本要素から成立する。
  ウ、拳法会の挨拶は押忍である。
  エ、順手とは、前の手で逆手とは、後ろの手である。
  ォ、三殺法とは、相手の拳を技を殺し気を殺すことである。
3.次の問題で関係のある文章を線で結びなさい。                 

  ア、内八字立ちは             ・構えである
  イ、残心とは                 ・勝利を得ても油断しない心
  ウ、慈愛と尊敬               ・後輩を侮らず、長上 を敬う
  エ、技をかけるチャンスのひとつ    ・技のつきたところである
  ォ、遠山の目付け             ・構えた時の目付けである
  カ、心の距離                ・間合いである
4.受け技を3つ書きなさい。                              
  正拳中段受け外腕刀、正拳中段受け内腕刀、正拳上段受け、手刀上段受け、掌底上段受け、・・・・・
5.蹴り技を3つ書きなさい。                               
  中段前蹴り、上段前蹴り、中段回し蹴り、上段回し蹴り・・・・など