以前、武道の定義と言うテーマで武道学会でワークショップが開かれた。その日本武道学会での多くの先生方の発表や私自身も「武道」と言う言葉は、近代になってからだと思っていた。しかし、ここ、10年ぐらいは、ひょっとしたら間違いであったんじゃないかと勝手に思っている。それは、東京大学の相撲部の部長で歴史学者である新田一郎教授の話を武道学会で聞いてからである。当時の話は、歴史学的に言って相撲は、侍・武士の営為にない。したがって「相撲をやっている=武道をやっている」では、ないと言う歴史学的見解でした。「となると空手や少林寺拳法など日本伝来のものでなく武士の営為にないものが多くあり、これを私たちは、武道と呼んでいる。」と言う発表でした。 となると相撲は、武道ではないと言うことになる。武道とは、殺人集団である武士が産み出した厳しい掟や節度、哲学だと言う。剣道の技術を稽古することと武道は、異質のものと言っている。この点から私は、「武道=武士道」は、同じでは、ないかと今は、考えている。誰かが「おはようございます。」を「オッス!」と言っていたように「武士道」を「武道」と言っていてもおかしくない。
以前、(社)障害者武道協会の代表理事で日本武道学会の柔道部会の国士館大の中島豸木教授にも話したが「フゥ~ン」と言う程度の話である。
もっとも中島教授にとっては、柔術を教育の一端とし「道」をつけたのは、尊敬する嘉納治五郎先生なので同意を得られるとは、思ってもいないが言ってみたかった。
とは言え、わたしのこの「武士道=武道」論は、あながち正しいのかもしれない・・・。
世界拳法会連盟会長大橋千秋
武道は、古来から継承された日本の哲学です。「武士道」を「武道」とし拳法会の歴史や訓え各武道界の先生の教えを学びましょう。It is Japanese culture, and Budo is philosophy. Kenpo Kai regards Bushido as Budo. Let's learn the history and a heart(Kokoro).
2010年10月3日日曜日
2010年2月9日火曜日
「人は、常に未熟である。」「その未熟な己を導くのは、師である」
「徳育なくして真の教育なく!武徳なくして真の武道なし」これは、私の格言です。また、「武道とは、体育、知育、徳育の基本要素から成立し、日本伝統文化と心を継承ともに武道道徳修得と健全なる知力、体力の育成を目的とする。」と位地づけます。なぜ、こんな事をまた、書くか?と言うと、わたしの大学時代の同輩の片岡直博(剣道教師七段・鳥羽市剣道連盟会長?・・・共に稽古した同輩なので敬称略)から「おまえが何時も言っている。あれ!なんだっけ?平成24年の武道必修化に必要・・・」と電話が入った。人の道を子供のころがら説こうというこのこころみが、大相撲にあれば、朝青龍も引退という事にもならなかったのでは?とまた、考えてしまった。まだ、29歳の有能な人材の道を変えさせた事態に心が痛む。総合格闘技の石井慧と朝青龍がハワイで一緒に飯を食った?とも報じられていた。共に柔道、相撲を去った形となった二人である。共に言動や優勝後の態度に問題があるとも言われた。しかし、朝青龍と引退前に飲んだ人物も「いい奴!」と誉めていた。となると、やはり自分の言動をコントロールする「徳育、教育」と言うことになる。貴乃花親方が理事になったと聞いた。また、「教育」の担当者とも聞いた。 貴乃花親方に期待するところ大である。Budoka is always unripe. A person teaching me who am unripe is a teacher. Message of Nahiro Kataoka (Kendo7Dan Kyoshi). It is Bushido philosophy to control one's heart and behavior. Samurai does not criticize another person. About Asasyoryu of Sumo, we should watch it. Association of Smou oneself is a problem to be settled.
世界拳法会連盟 大橋千秋
PS:「人は、常に未熟である。」「その未熟な己を導くのは、師である」
世界拳法会連盟 大橋千秋
PS:「人は、常に未熟である。」「その未熟な己を導くのは、師である」
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