幼児の拳法会教育方式の要点は、5つある。
まず、背景は、拳法会に入会する幼児は、三歳ぐらいから入会してくる。稽古時間は、集中力から考え30分間から60分としている。拳法会では、入会の三歳から目的が達成される7歳を幼児とし一貫した教育とする。
1.黙想、基本の呼吸法を徹底し幼児の安定した心を養成する。
2.楽しく体を動かすことで「幼児の潜在能力」を出来るだけ多く引き出す。
=自由に稽古させ形にはめ込まない。(人は、潜在能力を生涯で2%しか使わない)
3.幼児は、「転がり、飛び跳ねる」ことが楽しい。・・・出来るようになることを教える。
4.幼児は、「戦って勝つ」ことが楽しい。・・・勝つ事で「誇り、誇る」ものを与える。
5.幼児は、「幼稚」ではない。 技を考えさせることで「知恵」は、勝つ「根源」であることを「体験」させる。(パートナーがいて技が完成することを知る)
1から3は、五歳までに修得させ安定した心を養い!七歳までに人生の心と体の基盤を育成したいと考えています。
拳法会は、少子化防止と青少年健全育成のため「幼稚園の無料化と武道の必修化」を進めます。
社団法人障害者武道協会
武道は、古来から継承された日本の哲学です。「武士道」を「武道」とし拳法会の歴史や訓え各武道界の先生の教えを学びましょう。It is Japanese culture, and Budo is philosophy. Kenpo Kai regards Bushido as Budo. Let's learn the history and a heart(Kokoro).
2009年6月14日日曜日
2009年6月13日土曜日
段位の歴史 准段は、拳法会独自の段位!何故生まれたか?
「段位の歴史」 世界拳法会連盟会長 大橋千秋
段位制度は、大橋宗桂(Ohashi Sokei)1555年(弘治元年) - 1634年4月6日(寛永11年3月9日)により考案されたことは、以前、お話しいたしました。さて、拳法会には、准段(1級と初段の中間)があります。准段は、海外で誕生しました。昭和40年代、50年代に私は、海外で武道の普及を勤めていました。当時は、良質の黒帯で刺繍を入れた物は、日本より取り寄せていました。そこで生徒に「意欲」を持たせることと「経済的」な配慮から黒帯に白い線を1本入れた物を「准段」の帯として准段を制定しました。もうひとつの理由がありました。それは、例として、オーストラリアやニュージーランドの外国の指導者は、いくら優れていても「初段」程度の段位保有者しかいませんでした。当時、柔道では、中島豸木教授(現国士舘大学教授)が五段、私が拳法五段、剣道四段で空手では、ブリスベンにいた辻民夫先生が五段であったと記憶しています。現地のオーストラリア人の先生は、初段でした。従って先生が初段なので先生の1段下の黒帯「准段」が必要となったわけです。(従って、准段は、白い線の入った黒帯だっのです。日本では、茶帯ですが!)どうして日本が茶帯かといいますとわたしが日本に帰国し子供たちの励みのために世界で導入していたカラフルの帯(韓国で製造)と級制度を更に普及しました。現在、フルコン空手で使用されている防具も小手も、元は?と言えば価格を抑えるため昭和40年の初めに韓国の友人に頼みデザイン、製造をし導入して採用していました。その防具の採用で小・中学生のレベルが向上し日本でも1級と初段の間の段位が必要となったわけです。それが准段です。当時は、准段は、中学生を対象としたものだったのです。 また、黒帯に線が入っているのを雑誌などで見たアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアの外人の空手や武道の先生は、「ファッション性」と俺は、「五段とか十段!」だと誇示することを目的とし線が黒帯にたくさん入るようになったわけです。
しかし、拳法会では、初段より1本入れば、1歩手前の段位だったわけです。
「准段」の段位ひとつにしても歴史があるわけです。
段位制度は、大橋宗桂(Ohashi Sokei)1555年(弘治元年) - 1634年4月6日(寛永11年3月9日)により考案されたことは、以前、お話しいたしました。さて、拳法会には、准段(1級と初段の中間)があります。准段は、海外で誕生しました。昭和40年代、50年代に私は、海外で武道の普及を勤めていました。当時は、良質の黒帯で刺繍を入れた物は、日本より取り寄せていました。そこで生徒に「意欲」を持たせることと「経済的」な配慮から黒帯に白い線を1本入れた物を「准段」の帯として准段を制定しました。もうひとつの理由がありました。それは、例として、オーストラリアやニュージーランドの外国の指導者は、いくら優れていても「初段」程度の段位保有者しかいませんでした。当時、柔道では、中島豸木教授(現国士舘大学教授)が五段、私が拳法五段、剣道四段で空手では、ブリスベンにいた辻民夫先生が五段であったと記憶しています。現地のオーストラリア人の先生は、初段でした。従って先生が初段なので先生の1段下の黒帯「准段」が必要となったわけです。(従って、准段は、白い線の入った黒帯だっのです。日本では、茶帯ですが!)どうして日本が茶帯かといいますとわたしが日本に帰国し子供たちの励みのために世界で導入していたカラフルの帯(韓国で製造)と級制度を更に普及しました。現在、フルコン空手で使用されている防具も小手も、元は?と言えば価格を抑えるため昭和40年の初めに韓国の友人に頼みデザイン、製造をし導入して採用していました。その防具の採用で小・中学生のレベルが向上し日本でも1級と初段の間の段位が必要となったわけです。それが准段です。当時は、准段は、中学生を対象としたものだったのです。 また、黒帯に線が入っているのを雑誌などで見たアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアの外人の空手や武道の先生は、「ファッション性」と俺は、「五段とか十段!」だと誇示することを目的とし線が黒帯にたくさん入るようになったわけです。
しかし、拳法会では、初段より1本入れば、1歩手前の段位だったわけです。
「准段」の段位ひとつにしても歴史があるわけです。
2009年6月10日水曜日
「不安」とは、己自身の心が作り出す「幻(まぼろし)」 拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず。
私は、「拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず」とよく言う。確かこれは、戦国時代の剣聖であり新陰流の祖で「剣は、心なり・・・・」と唱え「無刀とり」、活人剣の、上泉伊勢守信綱の訓えであったと記憶している。 正しい事を判断する心は、多くのものに影響され見えなくなり道をはずれ迷い込んでしまう。そして、「抑圧」され「不安」という幻に怯えてします。そして、その幻から逃げようとする。 子ども達も同じである。心の片隅にある不安が己自身を抑圧し「殻」にこもり「逃避」や「欝」の世界に入り同じ仲間で慰めあってしまう。 それを救う手立ての一つには、「師」である。 その師が不安を打ち砕く「誇り=誇ること」を持たせてくれる。「誇り」は、様々であるが「地上回転」や「逆立」であったりする。幾つになってもこの様にあたえてくれる師を持たない者は、悲しい!「師なき者は、信ならず」とも言われ「心底、人に信用を得られない」のである。 立派な人物は、相談すべき師が常いるものだ。
「不安とは、己の心がつくりだす幻(まぼろし)」 この幻を打ち砕くのが「誇り=誇れるもの」
世界拳法会連盟 会長 大橋千秋
「不安とは、己の心がつくりだす幻(まぼろし)」 この幻を打ち砕くのが「誇り=誇れるもの」
世界拳法会連盟 会長 大橋千秋
2009年6月8日月曜日
「自得は、畢竟己にあり」H.21年度青少年健全育成会議総会・講演から!

「幼稚園児」は、差別用語!この時期が人生の基本、「親は、子供により成長し大人になる」
H.21年度静岡県青少年健全育成会議総会の講演で、はやし浩司氏が講演した。要点は、
1.0~2歳は、基本的信頼関係の構築期・・・親に絶対的な受け入れがあって心が開ける関係が出来る。(ウンチをテーブルの上でしようが笑って受け止めてやる)
2.2~4歳 自立性の構築の時期
3.4~5歳 優位性を伸ばす時期
親の権威を前に出すとよい子ほど「抑圧」を感じる。それが、成長すると突然に「うつ病」や「引きこもり」になる。
離別体験が「うつ病」の源となると言われている(39%)。もっと悪いのは、夫婦の騒動が更に子どもに影響を与える。
親が子どもを育てると考えるのは、まちがい!「子どもが親を成長させる」。 幼稚園から小学校そして中学校へと進むなかで挨拶も出来ない親が立派に挨拶が出来て子どもの見本となる。考え方も自分中心でなく他(子ども)中心の考えが出来るようになる。
問題を起こす子が問題でなく親に問題がある。「子どもは、家族の代表である」
世界拳法会連盟会長大橋千秋: 私は、若き日に講師の林さんとは、オーストラリアにつき話し合ったことがある。林さんの夢は、お子さんを豪の大学に留学させる事と聞いていた。 そのお子さんは、豪から「うつ病」で突然帰国した。「家庭内暴力」や「引きこもり」で大変苦労したと聞いている。この壮絶な体験があってこそ真の子育て論を確立したと思う。
2009年5月26日火曜日
日本人なら「武士道」の訓え! 武士道と実業道
西洋哲学のソクラテスや功利主義もいいけれど日本人は、やっぱり「武士道」ですね。葉隠れにある恋愛「恋の至極は、忍恋と見立て候」など、なんともいえない深さと究極の恋愛の実感がうかがえる。「好きだと告白すると、半減する!忍んだ恋は、心の中で燃えつづける」なるほど!!その深みを経営に活かしている人物としリンナイの内藤進(明人)さんがいることは、以前紹介した。功利主義に走らず「義」をもって決断し「品質こそわが命」を貫いている。 名刺交換のとき内藤氏は、「ガス器具屋の内藤と言います!」と名刺を差し出す。「品質、技術こそ武士の魂」といっている。労使のハザマで悩み血を吐いたと言っていた。命をかけ真剣に取り組み我が命より重たいものを持ってこそサムライと言えるのだろう。 世界拳法会連盟 会長大橋千秋追伸:6月24日偶然にも名古屋駅のパン屋でお昼のパンを買っている内藤さんに会った。内藤さんが「やぁ!」と言って手を上げた。「プレジデントの武士道の記事見ましたよ!あれは、私の十八番ですよ!」と言ったところ「そうだね!」と微笑んでいた。 ここでも先哲の師にあった。
「兵法の理を諸芸諸能の道となせば、万事において我に師匠なし」宮本武蔵の言葉である。これは、「師は、不要ということではない。森羅万象全ての事が我が師と言うことである」
2009年5月16日土曜日
2009年5月1日金曜日
山本五十六の訓え! 忍耐がなくなった若者たち!
2009年4月14日火曜日
2009年4月5日日曜日
試合場におけるSamurai・武士道の心得!
東北拳法会のコメントから「サムライジャパンという以上は、ガムをかんだりグラウンドに唾をかくのは、!」 WBC世界野球選手権についての秘話を、テレビ番組スパー・サターデーで高代延博コーチーの話を聞きました。 韓国は、グランドに韓国の国旗を建てたことについて、思うところがそれぞれあったが「我々は、旗を立てずサラッとしよう」と述べました。これは、ソウルオリンピックで金メダルを獲得しガッツポーズをしなかったさ斉藤仁選手とその後、国士舘大学の監督となり中・高・大がトリプルで全日本を制覇したときの祝賀会の言葉「私たちは、礼を尊びガッツポーズをせずに黙々と稽古し!黙々と勝つ」と挨拶しました。2008アジア国際拳法選手権大会を終えカトマンズから帰国の機中の読売新聞の記事に中島 豸木(国士舘大教授)が書いたものが載っていた。これは、東京オリンピック柔道無差別級でアントン・ヘーシンク選手が神永選手を押さえ込み勝利目前のところへ感極まった外国応援団が会場に乱入しようとしたとき「待て」と言って止めている記事であった。ヘーシンクは、勝利した後、相手に礼を尽くし神聖な道場に礼をした。この光景を目にした中島 豸木は、日本人のあるべき行動・姿勢を考え直したと言っている。高代延博コーチーは、イチロー選手の優れている点は、「走塁」と言っていたが「早くグラウンドに行き稽古する姿勢、道具を大切にする姿勢」だと思う。サムライは、「刀を武士の魂」としたのと同じことである。勝利したときの態度にもサムライらしさが出ておりガムをかんでいた選手や唾を吐いた選手は、別としてサムライらしきところは、あったと信じるがやはりアメリカ流やウェスタン流が当たり前と思っているところがあるなら反省すべきである。 「打って反省!打たれて感謝」武道家としよく言われる言葉である。
2009年4月3日金曜日
敵国外患無き者は、恒に国亡ぶ。 孟子
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